イラスト:マルー
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。秘書と外を歩くとき、夫と外を歩くとき、並んで歩いていても見ているものが同じとは限らない。秘書は猫や犬をすぐ見つけるし、夫は敏感かつ俊敏に女性を観察している模様。ではいったい、私は何をどう見ているのか。アガワさんが自分の視線の先を見つめてみたところーー

我が秘書アヤヤと一緒に外を歩いていると、

「あ、猫がいた!」

「キャッ、可愛い、あのフレンチブルドッグ」

「うわ、あの子(って犬ですが)、こっちを見てるぅ」

などと頻繁に、いかにも愛おしそうな奇声を発する。対する私が、

「あ、そう」

無愛想に反応すると、

「アガワさん、犬猫に対する愛が薄すぎます」とアヤヤに叱られるのだが、私はすかさず、

「犬猫に目を向けてばかりいないで、いい男に目を向けたらどうなんじゃい?」

「だっていい男なんて、歩いてないですもん」

こうして埒の明かない会話が続く。

概して男という動物は……といって、身近な例は我が家に一人しかおりませんが、観察するところによると、いくつになっても異性に目が向くものらしい。得てして敏感、極めて俊敏。

のらりくらりと歩道を歩いていても、

「今すれ違った女の子、〇〇だね」

車を運転しているときでさえ、横断歩道を渡るたくさんの人混みの中から、

「お、すごい〇〇の〇〇な女性がいた!」

ここで○○を明記するとセクハラ発言になりかねないので割愛させていただくが、ざっとこんな具合である。私が、「え?どの人?」と振り向いても、もはや雑踏に紛れて見つからない。それほどに、一瞬のすれ違い際であろうとも男という動物は見逃すことがない。

人間の耳や目は、周辺にあるものを何でもすべて捉えることはなく、巧みに取捨選択しているという。

となれば、いったい私自身は何を景色から取捨選択し、どこに興味のアンテナを立てているのだろうか。