母親の影響もあってか、パートナーを判断する際の基準として、経済力より文化力や知性に対して重きを置いていたというヤマザキさん。しかし、その基準もコロナ禍で長く日本に留まる中、少しずつ変わってきたそうでー―。(文・写真=ヤマザキマリ)

脳が満腹になればそれでよかった

「結婚に憧れるな」というのは、私と妹が子供の頃から母に言われ続けてきた言葉である。今から40年以上前、全国の多くの少女たちが将来の夢として“お嫁さん”を掲げていた時代、母は結婚に対してことごとくシビアな見解を抱いていた。

最初の夫とは私の出生後すぐに死別、その後再婚するも、妹が生まれた後に夫の海外転勤が理由で離婚。札幌の交響楽団設立時にヴィオラ1挺抱え、勘当寸前の状態で故郷の神奈川を去りつつ自立を果たした母にとって、パートナーは経済力や家庭を守る力より、精神面での支えになるかどうかが優先だったようだ。もちろん母にも家族との確執も含め、生きていくうえでの葛藤や苦しみもあったはずだが、二人の夫との別離のてん末を経て、男性と一緒になることは生きやすさへの解決策にはならない、という結論に至ったのだろう。

パートナーには経済力より文化力や知性を求めていた母の影響なのかどうかわからないが、17歳でイタリアに渡ってからまもなく私が付き合い始めた男性も、経済的生産性が皆無な“詩人”だった。詩を書いて生きるというのは、要するに霞を食べて生きるようなものだが、没落した裕福な家という出自によるプライドが、経済に屈従した生き方への拒否感情を頑なにしていた。少しでもお金が入れば、使用停止状態のガス水道電気電話の料金を払うかわりに極上のワインを入手し、ろうそくの明かりに照らされながら硬くなったパンとチーズを肴に二人でグラスを傾ける。完全に社会的倫理を欠いた暮らしだった。

それでもこの詩人が勧めてくれる書籍や音楽に映画、そして毎日交わす歴史や政治の話のすべてが私にとって必須の栄養素だった。極端な話、体が栄養失調になろうと、脳が満腹になればそれで満足だった。ところが同棲生活11年目にして妊娠がわかり、体よりも脳への栄養などと宣っている場合ではなくなった。出産直後に詩人とは別れ、気がつくと私は母と同じようにシングルマザーになっていた。しばらく後に結婚した今の夫との関係も文化面でのメンタル充足が優先だが、学生時代との違いは、霞食いによる餓死のリスクを回避できているという点だろうか。