イラスト:マルー
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。今回は歌人の種村弘さんに会い、「平安時代の貴族と挨拶をしているような気分」になったエピソード。俳句の親しみやすさに比べ、短歌はどうしてこんなにも遠いのか……。14文字の重みを感じつつ、悪友・ダンフミさんに問われて披露した百人一首「あいみて」の阿川流解釈とは――

歌人の穂村弘さんにお会いした。「歌人」という肩書きの、なんと高貴で知的な響きの漂うことか。

「歌人の穂村です」

そんな自己紹介はされなかったけれど、そう言われたら、私はたちまち「へへー」とひれ伏していただろう。まるで平安時代の貴族と挨拶をしているような気分。ひるがえってこちらは、

「インタビュアーのアガワです」

なんだか軽い。重みが違う。しかも穂村さんはお若い。と感心していたら、58歳と知り、思ったほど若くはないことがわかったけれど、でも「お若いのに……」と言いたい気持はぬぐえない。

歌人と聞くとどうしても、顎鬚を生やし、水のほとりの岩の上に腰をかけ、筆と短冊を手に遠くを静かに見つめる翁の姿が目に浮かぶ。古すぎるか?

たしかに俵万智さんや林あまりさんなど、現代的な女流歌人が現れて人気となって以来、「なんだ、こういう感じで詠めばいいのね」とにわかに短歌が身近な存在(それはあくまで勘違いであるのだけれど)となった感はあるが、そうは言っても簡単に、「じゃ、ちょいと詠んでみようかな」という軽いノリにはなれない。

これが俳句となると、印象が少々変わる。いや、決して軽んじているつもりはないが、俳句のほうがはるかに親しみやすさがある。

五・七・五と五・七・五・七・七。

たった14文字が増えるだけなのに、どうしてこうも遠い存在なのだろう。もちろん俳句も奥が深いのはわかっている。しかし、あまたの俳句挑戦番組や俳句コンテストなどの影響もあってか、季語さえつかんでおけば、初心者でも作れそうな気がしてしまう。現に『プレバト!!』で有名な夏井いつき先生曰く、

「誰でも独り言を呟いたり、こっそり誰かの悪口を言ったりするでしょう。それを五・七にして、その後ろに季語を一つくっつければ、とりあえず俳句になりますよ」

あくまでも初心者のためのコツである。つまり、「ウチのお姑さんは、本当に嫌味を言うのが上手でやんなっちゃう」と思っていたら、たとえばですよ。