片思いの、ひりつくような孤独に耐えられるのは
若いころ特有の、意味のわからない片思いパワー。なぜか恋愛至上主義になってしまう主人公たち。『愛がなんだ』が描くそれらの背後にあるのは、若さを持て余したエネルギーと、それを誰にもぶつけられない孤独だ。
たぶん、人はエネルギーが余ってないと、「好きな人が、ぜんぜん自分のことを好きじゃない」という孤独に耐えられない。体力がない状態だと、自分のことを好きそうではない相手を、わざわざ追いかけようという気にならない。つまり片思いをするってことは、孤独に耐えられる頑丈さを持っている証だ。
片思いの、ひりつくような孤独に耐えられるのは、心も体もちゃんと若いからだ。――『愛がなんだ』は、そんな若さをこれでもかと描く。
『愛がなんだ』の、テルコとマモちゃんのエピソードは、どれもすごく良い。たとえばマモちゃんと飲んだ後の話。
テルコは内心マモちゃんの家にこのまま転がり込みたいと思っているのだが、そんなことを期待してはいけないと下心を抑え込む。深夜にたっぷりごはんを食べ、お酒を飲んだ後、マモちゃんとテルコは、タクシーを待つ。
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「タクシー全然こないね」マモちゃんが言う。夜空は紫色だ。切り込みを入れたみたいな細い月がかかっている。冬はまだ先なのに、町は冬のにおいがする。「あ、きたきた」マモちゃんは言って道路に走り出る。「山田さん、うちくる?」片手をふりまわしながら、いやになるくらいさりげない口調でマモちゃんは言う。
「へっ、いいの?」
あんまりにも予想外の問いに驚いて、私の声は裏返っている。
「タクシーこないし、いっしょに乗っちゃおうよ」
マモちゃんは言う。タクシーは私たちの前でとまり、マモちゃんが私を先に乗せる。自分も乗り込んで、世田谷代田お願いします、低い声で言う。
世田谷代田、どの道つかいます? あ、空いてそうなとこならなんでもいいっす。
後部座席で私は放心したまま、運転手とマモちゃんのやりとりを聞いている。期待しないように。放心しながら、頭の一番冷えている部分で私はくりかえす。始発電車で帰れと言われるかもしれないのだし。やっぱ帰ってくれるかな? と、着くなり言われるのかもしれないんだし。
「あーねむ」
私が必死で考えている悲観的仮定とはしかしまったく無関係に、マモちゃんは座席からずり落ちそうな姿勢で目を閉じる。やがてしずかな寝息が聞こえてきて、ひどくとんちんかんだけれど、もし生まれ変わるのなら田中守になりたい、なんて、そんなことを思った。
(角田光代『愛がなんだ』角川文庫 p43)
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