とにかく、ずっと忙しかったのだ。東京と横浜を毎日のように往復して、実家と介護施設と病院とを、あやとりの糸のように細かく巡った。父親が二年、母親が三年、二人の介護が重なった一年半は、介護別居もせざるをえなかった。
 そんな日々が、去年の暮れ、母親が亡くなったことで、ようやく終わった。両親をともに見送って、娘という立場から卒業したわけだ。ただし、ケンゾーを育てあげたときのような達成感はない。ただ、「終わっちゃったね……」とため息をつくだけのゴールだった。
「悪いけど、しばらくは抜け殻だから」
 言葉どおり、美沙は母親の葬儀のあとはすっかり元気をなくしてしまった。年末はほとんど家の中にこもりきりで、CSで一挙放送された古いドラマばかり観ていた。
 正月に顔を出したケンゾーも、口では「介護ロスなんじゃないの?」と冗談めかしていたが、やはり心配しているのだろう、アパートに戻るときには孝夫にこっそり「お母さんのこと、フォローよろしくね」と耳打ちしたのだった。
 そうか、ケンゾーがウチに来るのって、正月以来になるのか──。
 電車の中でふと気づいた孝夫は、すぐさまポケットを探った。
 ケンゾーは最近の我が家の様子を知らない。伝えておくべきことがある──家族のLINEではなく、二人のトークで。

 だが、スマホを取り出すと、すでにケンゾーからのメッセージが届いていた。
〈お母さん、なにかあったの?〉
 だよな、そう思うよな、と孝夫はため息交じりにうなずいて、返信した。
〈くわしくは帰宅後〉
 すぐに既読がつき、スタンプが返ってきた。
 さっきと同じアニメのキャラが〈ドキドキ♡〉と胸を押さえて緊張しているスタンプだった。
 軽いぞ、息子……。
 孝夫はまた、さっきとは違う意味でため息をついた。

 

「玄関に入った瞬間、あれ? って思ったんだよね。ウチってこんな匂いしてたっけ、って」
 ケンゾーは声をひそめて言った。美沙は入浴中なので、リビングの話し声が聞こえる心配はまずないのだが、マイナーとはいえ曲がりなりにも俳優だけに、ケンゾーの地声はよく通るのだ。