「アロマじゃないよね、これ。もっとシブいっていうか、お寺っぽいっていうか」
「ああ……お香だ」
 孝夫はハイボールを啜ってうなずく。
「お香とアロマって違うんだっけ?」
「全然違うさ。アロマはオイルだ。液体だ。花や木から抽出したエッセンスだけど、お香は香木を熱して、薫くんだ」
 揮発性のあるアロマは、香りの立ち上がりが速い半面、長持ちしない。一方、熱を与えるお香は、立ち上がりには時間がかかっても、深い香りが長く続く。
「でも、お母さん、そんな趣味って……」
「最近、始めたんだ」
「なんで?」
「部屋をゆっくりゆっくり、時間をかけて薫き染めると、時が満ちるんだ」
「はあ?」
 だよな、そのリアクション当然だよな、と孝夫は缶に残っていたハイボールをグラスに注いだ。
「それって、お母さんが自分で考えたフレーズなの? 誰かに聞いたこと?」
「……聞いたことだ」
「テレビとか?」
「違う。知り合いに教えてもらったらしい」
「知り合いって、お父さんも知ってる人?」
「いや……」
 かぶりを振って、ハイボールを啜る。小さなげっぷとともに、まいっちゃうよなあ、という声にならないつぶやきも漏れた。

「ね、お父さん」
 ケンゾーは身を乗り出して、「その話って、けっこうシリアスな展開になりそう?」と訊いた。
「いや……そんなのじゃないから、だいじょうぶだって」
 言葉をいくつか端折った。父親として、息子によけいな心配はかけたくない。だが、ほんとうは「いまのところは」を入れるべきだったし、最後は「と思うけど」で締めくくったほうが正確だし、もっと本音に近づけるなら、最後にさらに「どうなんだろうなあ……まったく」と弱音も付け加えたいところだった。