「著者プロフィール」
重松清 しげまつ・きよし
1963年岡山県生まれ。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞、14年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。近刊に『ひこばえ』『ハレルヤ!』など。20年7月に『ステップ』が映画化された(飯塚健監督・山田孝之主演)
第一景
「空き家は廃屋ではありません(1)」
「本題とはあまり関係ないことなんですが、ちょっとだけ寄り道させてもらっていいですか?」
営業車の助手席に座ったウェブメディアの記者は、シートベルトを装着しながら言った。
水原孝夫は、「いいけど?」と訝しそうに返して車をゆっくり発進させた。寄り道もなにも、まだ取材は始まっていない。ついさっき名刺交換をしたばかりで、西条真知子という記者の名前もうろ覚えの段階なのだ。
「広報の柳沢部長から、チラッとうかがったんですけど――」
その前置きで見当がついた。駐車場から外の通りへ車を進め、左右を確かめるしぐさとエンジンの音に紛らせて、そっと舌打ちもした。
「水原さんの息子さん、戦隊ヒーローの俳優さんだった、って」
当たった。柳沢のひょうきんな笑顔が浮かぶ。悪いヤツではないが、おしゃべりな性分で、相手を喜ばせたいサービス精神も旺盛で――だからこそ、広報に向いているのだろう。同僚や友人としての守秘義務は忘れずにいてほしいのだが。
「名前、教えてもらっていいですか?」
嫌だ、とは言えない。社運のかかった新規事業の取材なのだ。全面的に協力をするよう、会社からも命じられている。
「言ってもどうせわからないよ。昔の話だし、視聴率も良くなかったし」
せめてもの逃げ道を探ってみたが、「全然平気です」と返された。「わたし、戦隊ヒーローは詳しいんですよ。マイナーでも覚えてます」
「……じゃあ、番組の名前だけ」
『ガイア遊撃隊ネイチャレンジャー』――ネイチャーとチャレンジャーを組み合わせたタイトルどおり、ひとつの生命体としての地球と呼応して敵を倒すという設定の番組だった。
「え、マジ、ほんとですか?」
「知ってる?」
「知ってます知ってます」
西条記者は、孝夫の一人息子の研造と変わらない年格好だった。今年三十歳になる研造が『ネイチャレンジャー』に出演していたのはちょうど十年前のことなので、確かに彼女が知っていても不思議ではない。

「幻の名作ですよね。リアルタイムの視聴率は悪かったけど、ヒーローたちのその後のブレイクがすごいじゃないですか」
声を弾ませて、一般のドラマでも売れっ子になった俳優二人の名前を挙げた。ともに『ネイチャレンジャー』がデビュー作で、役名をいまもそのまま使っている。
「もしかして、息子さん、風祭翔馬?」
孝夫は、まさか、と苦笑してかぶりを振る。『ネイチャレンジャー』の頃から華やかさでは頭一つ抜けていた翔馬は、順調にステップアップを続け、いまでは地上波の連続ドラマでコンスタントに主役を張るほどにもなった。
「だったら、美原大河だったりします?」
こちらも不正解。数年前に舞台で好演して新人賞を総なめした大河は、若手随一の演技派として、玄人受けする映画や演劇に引っ張りだこだった。
「じゃあ……」
言いかけて、口ごもる。「えーと、あと、誰でしたっけ、名前……」
最悪の展開になってしまった。
戦隊は男三人女二人の五人組で、男性トリオのうち二人はみごとにブレイクしたものの、残り一人は鳴かず飛ばず。そんな、絵に描いたような「はずれ」こそが、つまり――。
「思いだした! ホムホムですよね!」
ようやく正解にたどり着いた。翔馬や大河と同様、役名にして芸名が、炎龍斗。炎を「ほのお」ではなく「ほむら」と読んでもらうために、ドラマでは仲間からホムホムと呼ばれていたのだ。
「え、うそ、すごっ、ホムホムのお父さんってことですか、水原さん」
驚いている。ただし、さほど感激しているようには見えない。もしかしたら、ホムホムまでは出てきても、炎龍斗という名前は思いだせずにいるのかもしれない。
「それで、いま、ホムホムはどんなことやってるんですか?」
柳沢の口の軽さをつくづく恨んだ。与り知らぬ場で赤っ恥をかかされた息子にも、すまん、と心の中で謝った。
「いろんなことをやってるよ、細々とだけど」
「いろんなこと、って?」
サービスは、ここまで。
「取材だよね」
口調を改めて、「早くやっちゃおう。現場に着くと忙しいから」と、ぴしゃりと言った。
さすがに西条記者も仕事モードに切り替えて、メモとICレコーダーをバッグから出した。
「じゃあ、初歩的な質問も多くて恐縮ですが、いろいろと教えてください」
空き家をめぐる状況と、いま孝夫が手がけている仕事について――。