イラスト:マルー

 

阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。今回は、気づいてみたら習慣化されていたマスクについて。シートベルトも義務化された当初は面倒だったが、いつの間にかないと不安に。と言いつつ、マスクもまだ、忘れるときには忘れるもの。阿川さんは、リスクマネジメントと称し、バッグに予備マスクをはじめとして、さまざまな予備を入れて持ち歩く。年を追うごとどんどん重くなるバッグ。予備レス時代はいつやってくるのか?

マスクが必需品になって一年あまりになる。このわずらわしき生活からいつ解放されるのかと、途方に暮れつつ過ごすうち、いつのまにかマスクをつけるのは、車に乗るときシートベルトを装着するのと同じぐらいの「つけなきゃね」レベルになってきた。シートベルトも義務化された当初は面倒だと思っていたが、気づいてみたら習慣化されていた。人間の順応力というのは侮れないものだ。

そもそもマスクに関して日本人は他国の人々と比べ、つけ慣れていると聞く。たしかにコロナ騒動が起きる以前から、街中にマスク顔が溢れていた。花粉症のせいもある。喉の乾燥対策としてつける人もいた。いっときはマスクがファッションの一部と化していたこともあったように思う。横断歩道を渡るとき、見渡せばみんなマスク、誰もがマスク。よくそんなものを顔に当てて息苦しくないわねえと、感心半分呆れ半分で見ていたのは、遠い昔のことのようである。

マスク嫌いだったはずの私でさえ、今やマスクを顔に当てていないとなんだか風通しが良すぎて不安になる。そのくせ、つけるのを忘れる。玄関を出て、何かが足りないと思い、しばらく歩いてから気がつく。しまった、マスクを忘れた。そういう失態をこの一年、何度繰り返したことだろう。だから家を出るときの秘書アヤヤとのやりとりが増えた。

「眼鏡、持ちました?」

「持った」

「鍵は?」

「持った」

「財布、携帯電話」

「ある、手帳もあります」

「マスクは?」

「あ、忘れた」

そしてせっかくはいた靴を脱ぎ、廊下を走る。