『婦人公論』2021年7月13日号から連載がはじまった、重松清さんの小説『うつせみ八景』。
発売中の最新号を除く全編を掲載します。

「前回までのあらすじ」

空き家のメンテナンスや新規事業に携わる水原孝夫は、ウェブメディアの記者・西条真知子から取材を受けていた。その頃、妻の美沙は役者の息子・研造(ケンゾー)を連れて“マダム・みちるの” お茶会へ。マダムや招待客と会話を重ねることで、美沙は介護ロスから立ち直りつつあった

「著者プロフィール」

重松清 しげまつ・きよし

1963年岡山県生まれ。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞、14年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。近刊に『ひこばえ』『ハレルヤ!』など。20年7月に『ステップ』が映画化された(飯塚健監督・山田孝之主演)

第二景

「広いながらも寂しい空き家(1)」

 気になる話を聞いた。
 空き家のメンテナンスに取りかかる前、ご近所を回って「なにかご迷惑をおかけしてませんでしょうか」と尋ねているとき──。
「白石さんって、最近ときどき帰って来てるんじゃない?」
 隣家の奥さんが教えてくれた。空き家の主が帰宅している、というのだ。部屋の雨戸は立てたままだったが、廊下や階段の小窓から明かりが漏れていたらしい。
 水原孝夫 は首掛けにしたタブレット端末の画面をさりげなく確認した。先月のメンテナンスから昨日まで、オーナーの帰宅の記録はない。
 困惑を顔に出さないよう気をつけて、詳しく尋ねてみた。
「ときどきということは、何度か?」
「そうよ。先週と先々週、どっちも土曜日の夜で、十時過ぎ」──同じテレビ番組のCM中にトイレに立って、明かりに気づいたのだ。
「朝になったら挨拶に来てくれるのかなあ、って思ってたら、結局なにもなくて……夜中のうちに帰っちゃったみたい」
 二回ともそうだったという。
「ただ、ウチの前に車が停まってたわけじゃないのよ。タクシーで来て、帰りのタクシーも電話で呼んだのかしらねえ」
 最寄りの駅からはバスで五分、歩くと三十分は優にかかる。自家用車が必須のニュータウンだ。
「……なるほど」
 平静を必死に保ちつつうなずく孝夫は、さっきから背中に感じる「圧」とも戦っていた。
 タマエスのロゴ入りジャンパーを羽織った西条真知子が、目をらんらんと輝かせている。
 事件ですよ事件ですよこれ事件ですよ謎が謎を呼んじゃってますよ、ひゃっほーっ……。
 声に出さなくても「圧」で伝わる。取材記者の血が騒ぐのか。ならばプロとして、せめてポーカーフェイスを貫いてもらいたいのだが。
 顔を出すな、横から覗き込むなって、ほら、引っ込めろ……。
 ヤジ馬根性剝き出しの「圧」が奥さんにばれないよう、孝夫は体を左右によじって西条記者を背中に隠しつづけた。おかげで、玄関先をひきあげるときには脇腹が攣りそうになってしまった。
「のんきですよね、お隣さん」
 白石さんの家の門扉に〈メンテナンス中〉のボードを掛けながら、西条記者は声をひそめて言った。
「泥棒とか不審者の可能性、全然考えてないんだから」
 まあな、と孝夫は苦笑交じりにうなずいた。