「わかる」と思う感情と、「わからない」と思う感情

まず、思っていた姿とちがう印象を受ける。教室で見ていたときより、「このひとは、きれいなんじゃないかなあ」と。そして、本当は「さみしいんじゃないかな」と、彼のことをすこし理解した気になる。

しかし一方で、ひとりでさみしいことに満足したような表情で「さみしい」と照は言う。

その、「わかる」と思う感情と、「わからない」と思う感情、双方が遥のなかで両立する。

そのときはじめて、遥は照のことを手に入れようとする。

私は、人の魅力というものは、この「わかる」と「わからない」が両立するところにあるのではないかと思う。

自分がもともと惹かれるものを持っていて(遥の場合は「きれいだな」と思うことだ)、しかし一方で、自分が知らない、わからないものも持っている(ここだと「さみしいことに満足げであること」だ)。それが両立するところに、魅力を感じるのだ。

遥はそのわからなさを埋めようとするかのように、照に「わたしと遊ぼう」と手を伸ばす。

その瞬間が、恋人関係ではないけれど、でも当然友情でもない、ぎりぎりのラインを描いているように見えて、私はこの場面を美しいなあと思うのだった。

 *

実際に人が人に魅力を感じる理由なんて、些細なことなのだろう。でも物語なら、それを一瞬でもいいから、読者に見せてほしい。関係性がことりと変わる、その瞬間の必然性を、私は読みたいからだ。

三宅香帆さんの連載「書きたい人のための〈名場面読本〉」一覧