「あ、それ、逆効果かも。お父さんが警戒するのもわかるし、オレも最初はそうだったけど……やっぱり、疑うのって違うんだと思った」
 孝夫が美沙と過ごすのは、毎日数時間しかない。だが、足を骨折したケンゾーは一日中ウチにいるので、美沙との接点も多いし、長い。
「このまえのお茶会から、オレ、お母さんのことを気をつけて見てたんだ。で、思ったの。いまのお母さん、確かに介護ロスから抜けたよ。お正月の頃とは別人みたいに活き活きしてるし、毎日が楽しそうだし。それがみちるさんのおかげだったら、いいじゃない。お母さんだってオトナなんだから、横から口出しすることじゃないよ」
「……まあな」
「だから、オレがお茶会にいると、せっかくみんなでつくってるいい雰囲気を魔しちゃいそうなんだよね。とりあえず明日はお母さんだけでいいんじゃない? ね?」
 幼い子どもを諭すような言い方に少々ムッとしたものの、孝夫もうなずくしかない。確かにケンゾーは自分よりずっと美沙を間近に見ているし、痩せても枯れても俳優だけに、じっくり語るときの言葉には不思議な説得力がある。
「それに、みちるさんのことをしゃべってるときのお母さんの顔、オレ、わかるんだよね」
 特撮ヒーローだった頃は、ファンたちのうっとりとしたまなざしをいつも浴びていた。忍者ミュージカルで細々と芸能活動を続けているいまも、数はすっかり少なくなったものの、自分をうっとりと見つめてくれる視線があるからこそ、がんばっていられるのだ。
「追っかけセブンティーズだってそうだよ。たまにウザったいけど、そういうファンがいてくれるから、オレたちもやっていけるわけだしね」
「……うん」
 曖昧な相槌になった。その理由を察して、ケンゾーは苦笑交じりに「お父さん、三人のこと、会ったことなくても、好きじゃないでしょ?」と言った。「いい歳をしてなにやってるんだ、みっともない、とか思ってるよね」
 黙ってうなずくと、ケンゾーは「だよね」と苦笑いを深めた。表情に、微妙な憐れみともあきらめともつかないものが交じる。
「でも、とにかく、うっとりした目になってるのは幸せな証拠だから。お母さんも、この二、三年は介護で大変だったから、お父さんをそんな目で見たことはなかったんじゃない?」
「うん……まあ、そうだな」
 この二、三年どころか、十年、さらには二十年……新婚時代にまでさかのぼらなければ「うっとり」には出会えないかもしれない。
「とりあえず、うっとりしてるうちは放っておけばいいんだと思うよ、オレ」
 追っかけセブンティーズの家族も、そういうスタンスで三人を自由にしている。
「ただ、うっとりしてるときは警戒心がゼロになってるわけだから、そこだけは要注意」
 たとえば、と続ける。
「オレがあの三人組をヤバいビジネスに誘っちゃうとか、オレオレ詐欺に引っかけちゃうとか、ただのヒモになるとか」
「──おい」
 思わず気色ばんだ孝夫を、「たとえばの話だって」と笑っていなし、さらに続けた。
「お母さんの場合だったら、そうだなあ、あの洋館が人手に渡りそうだからみんなでお金を出し合って支えましょうよ、みたいな」
「そんな話あるのか?」
「だから、たとえばの話だってば」
 ところが、ケンゾーはふと真顔になって、「いや、でも」と虚空を見つめた。「ないことは、ないか、その展開」
 孝夫もまた顔をこわばらせた。
 ケンゾーは子どもの頃から妙に勘の鋭いところがあった。ブレイクしそこねたとはいえ芝居の道に進んだぐらいなのだから、親バカ承知で言うなら感性が豊かなのだろう。その息子が、なにげなく口にした自分の一言に意外な重みを感じ取ったというのは、やはり……。
 そのとき、テーブルに置いた孝夫のスマホに電話が着信した。吉田奈美恵さんからだった。
 急いで電話に出ると、奈美恵さんはまず最初に「夜分すみません」と詫びて、「さっき水原さんからのメールを読んで、もう遅いから電話は明日にしようと思っていたんですが」と続けた。
 夜十一時を回っている。確かに明日の朝イチにしようと考えるのが常識的だろう。
「でも、たったいま、水原さんの部下っていう人からショートメールが来たんです。遅くてもいいから今日中に電話をください、って」
 メールの差出人は、あらためて訊くまでもない。
 自分の背後からパソコンの画面を覗き込んでいた西条真知子の姿が浮かぶ。画面に連絡先として出ていた携帯電話を覚えたのだろう。
 頼む、そのやる気と記憶力を、どうか別の方面に役立ててくれないか……。
(つづく)