人をひきつける文章とは? 誰でも手軽に情報発信できる時代だからこそ、「より良い発信をする技法」への需要が高まっています。文筆家の三宅香帆さんは、人々の心を打つ文章を書く鍵は小説の「名場面」の分析にあるといいます。ヒット作『文芸オタクの私が教えるバズる文章教室』の著者の連載。第12回は「恋人関係」の名場面について……
私が会話フェチなだけ?
◆
この旅行のことを知った母親は俺を罵倒し詰り尽くした挙句、「あんたたちは親子揃って悪魔に騙されてる!」と悪魔のような形相で叫んだのだ。その瞬間、「母さんとの生活は大丈夫か?」と数ヶ月に一度定型文のようなLINEを入れてくる父親の意図がようやく分かった。母親なきあの家で沙南と二人で暮らしていると正直に話せば、父親は別の女の人とどこか別のところで二人暮らしを始めるのではないだろうか。実力行使でさっさと沙南と結婚してしまうのもいいかもしれない。結婚式なんてしなくていい。婚姻届だけ出して、コロナが収束した頃にウェディングドレス姿の写真だけ撮りに行くのはどうだろう。そうだ、二人の生活が落ち着いたらずっと母親に「絶対ダメ」と言われていた犬を飼うのもいいかもしれない。
「ねえ沙南、犬飼うんだったらどんな犬がいい?」
なに急にと沙南は笑って、犬はもう大きいのが一匹いるよと俺の頭を撫でる。
「全部俺が世話するし、何なら毎晩一緒にランニングするよ。そしたら俺も体型維持できるし。小さいのと大きいのどっちがいい?」
「あれがいいな、あのぬいぐるみみたいで可愛いけど地頭が悪そうな、幸希みたいな犬」
「なにそれひどいな。ハスキーとか?」
「違う、えっと、そうだ、ゴールデンレトリーバー」
「レトリーバーか。賢そうな顔してるけどね」
「人に好かれるのは得意だけど命令がなきゃ何もできなさそうな感じが幸希にそっくりだよ」
「母親がコロナで死んだらうちで二人で暮らそう。それで結婚して、レトリーバーを飼おう」
(『アンソーシャル ディスタンス』p230-231、金原ひとみ、新潮社)
◆
私が恋愛小説というジャンルに何をいちばん求めているのかといえば、会話である。
いや、世の中の恋愛小説に対して言いたいことはたくさんあるのだが、それにしても、一にも二にも会話である。いい会話を読みたい、そのために私は恋愛小説を読んでいるフシがある。
くだらないけどそこにしかない会話を読みたい。そのふたりにしかできない会話を読みたい。ちゃんと血の通った会話を読みたい。そういう欲求を満たしてくれるのが小説だ。しかも、ちゃんと恋愛しているふたりの会話。距離の近しい会話というのは、恋人たちに残された数少ない特権なのではないか、と思うときがある。自分が会話フェチなだけなのかもしれないが。
というか、ふたりの会話もなしに、恋人であるという事実を読者にわからせることなんて無理じゃないか。