いつだったか、『ネイチャレンジャー』時代のケンゾーが、番組宛てに届いたファンレターの束をウチに持ち帰ったことがある。小さな子どもからその親、さらには奈美恵さんのような熟年女性まで、どの手紙にも熱い思いがこもっていた。手紙を読むケンゾーは、照れ隠しに「役と現実は違うんだって」「会えない会えない」「似顔絵を描くなら、もっとカッコよく描いてくれよ」などと憎まれ口をたたきながらも、途中からは泣きだす寸前のような顔になって、ぽつりと言ったのだ。
「オレ、幸せな仕事を選んだんだなあ……」
 いまでもケンゾーはあの頃のファンレターを持っているだろうか。絶対に捨てるんじゃないぞと言いたい一方で、十年たっても折に触れて読み返しているようでは、それはそれで情けない話ではあるのだが……。
「私も『ネイチャレンジャー』を観てました」
 孝夫の言葉に、白石さんはきょとんとした。
「嫌いじゃないんです、ああいうの。だって、やっぱりヒーローってカッコいいじゃないですか」
 胸を張って、笑って見せた。
 白石さんはビールを口に運ぶ。少し鼻白んだ様子ではあったが、缶を持つ手を膝に下ろしたときの顔には微笑みが浮かんでいた。
「水原さんはいいダンナさんで、いいお父さんだったんでしょうね、ほんとに」
 皮肉じゃないですよ、と付け加えて、座る人のいない椅子をまた見つめた。

 

 離婚の直接のきっかけは、白石さんの母親の介護だった。
 札幌で一人暮らしをしている母親が八十歳を過ぎて、なにかと心配事が増えてきた。白石さんとしては母親を東京に呼び、できれば同居をしたかったのだが、奈美恵さんはきっぱりと言った。
「ごめんなさい、あなたのお母さんの面倒を見るのはお断りします」
 さらに、白石さん自身に対しても介護を拒んだ。逆の立場──自分が介護されることも、断った。
「悪いんだけど、あなたの介護をするのも、あなたに介護をされるのも、どうしても想像できないの。あと、詩織が結婚して家を出たあと、あなたとこの家で二人になって、どんな話をして、どんなことで笑ったり泣いたりするのか……なんにも浮かんでこないのよ」
 夫婦の未来が、打ち消された。
「過去の恨みつらみは忘れることができても、真っ白な未来は、もう、どうしようもないから」
 奈美恵さんは淡々とした口調で言って、「これ、お願いします」と、自分の署名と捺印を終えた離婚届を差し出したのだ。