外国人同士の義兄とわたしは、馬が合った

義兄はいかにもラテン男という感じの外見で、笑顔がロバート・デ・ニーロに似ていた。あれほど人生を謳歌した人をわたしはほかに知らない。乗馬、フィッシング、ダイビングなどに加え、料理の腕はレストランのシェフ顔負けだったし、午前中はいつも行きつけのバーでコーヒーを飲みながら本や新聞を読み、政治や社会について議論するのが好きで、それと同じぐらいにジョークを飛ばすのも好きだった。夏にイビサ島に遊びに行ったときなど、馬に乗って堂々と道路の真ん中を通り、近所のバーから彼が帰ってくる姿を見て息子が大喜びしたものだ。

アイルランド人家族の中で、2人だけ外国人だった義兄とわたしは、文字通り馬が合った。英国からイビサ空港に到着するわたしたちを出迎えに来る彼を、人垣の中から最初に見つけるのも常にわたしだった。連合いがキョロキョロしている間に、わたしはすでに彼とハグし合っていた。あの酸いも甘いも噛み分けながら、それでもまだとんでもない悪戯をやらかしそうな笑顔を見ると、もう一つの実家に帰省してきたような気になった。

「45年以上も知っていて、若い頃に一緒に住んでいたこともあるくせに、どうして彼の顔がわからないの?」

わたしが言うと、いつも連合いは答えた。

「昔の姿を知っているからこそ、わからないことだってあるさ」

若い頃の精悍な義兄の写真を見ると、そんなこともあるのかなと思った。実際、近年の義兄は次々とどこかを病んで、だんだん筋肉が落ちて痩せていった。仕事も乗馬もダイビングもできなくなって、行きつけのバーに毎日コーヒーを飲みに行くぐらいしか楽しみがなくなったときに厳格なロックダウンが始まった。目に見えて鬱っぽくなり、誰かと話をするのもつらそうだったという彼が亡くなっている姿を見つけたのは義姪だった。「何もかも残してこんなふうに1人で逝くのはわがままだ」と義姉は電話で泣きながら言った。時節柄、まともな葬儀もできなかった。できたとして、ほとんどが海外にいる家族は出席できない。そのことを知っていて、義兄はこの時期を選んだのかとふと思った。