イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。今回は「そしてわたしは辞書を引く」。人前に出るのが嫌いな私は、「日本への出張時にお会いしましょう」と、お茶を濁して無期延期にしていたのだが、リモート全盛になって逃げられなくなってーー。(絵=平松麻)

つっかかりもっかかり辞書を引きながら

たいていのことがリモートでオッケーになってから、個人的に困っていることがある。以前なら、「日本への出張時にお会いしましょう」とか「東京でゆっくり」とお茶を濁して無期延期にできたことが、ぜんぶ「Zoomでやりましょう」と、すぐ実現可能になってしまったのだ。

打ち合わせから取材、対談まで、もう「海外在住だから」を言い訳に逃げられない。そもそも、わたしは人前に出るのが嫌いなのである。もし好きだったら、違う稼業をやっているだろう。人前でしゃべるのが苦手だからコソコソ一人で書く仕事をしているのに、オンラインでしゃべらなければ本も出せない。最悪の時代になったものである。

とはいえ、最悪なこともやり続けていると少しは慣れてくるもので、この頃では緊張してお腹を下すこともなくなった。それに、恐ろしく知的な方々と対談していると、自分自身についてあっと驚く発見をすることがあっていろいろ考えさせられる。

最近、京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史さんとオンライン対談をしたときがまさにそうだった。藤原さんに、いちいち立ち止まって頻繁に辞書を引きながら文章を書いているのではないか、と指摘された。わたしの本を読んでいると、英語や日本語の辞書を使って言葉の意味を確認している箇所がいやに多いから、と。

ギクッとした。

誰も見てないだろうと思って冷蔵庫の扉の裏に隠れてミニアイスをいくつも貪り食っていたら物陰からじっと凝視していた人がいた、みたいな感覚だった。そうなのである。わたしの文章はわりとぞんざいなので、勢いで書いていると思われがちなのだが、実は、つっかかりもっかかり辞書を引きながら書いている。なぜならわたしは、言葉の運用能力に深刻な問題を抱えているからだ。