「この言葉はそもそも全国的に通用する日本語なのか」

例えば、前段落に書いた「つっかかりもっかかり」という表現。この時点で、なにこれ?と首をひねられた方が多いだろう。わたしはそう記した後で、突っかかり、って漢字で表記してもいいのかな、とネット辞書を引いて、そんな日本語は存在しないことを知る。が、「やっぱり」と思う発見があった。

どうやら博多弁らしいのである。意味は「つまずきながら」「あっちこっちに絡んで物事のはかどらない様子」と書かれている。やばい。わたしは藤原さんとの対談でも、「つっかかりもっかかり」と確かに言った。福岡方面で視聴していた人にしか意味がわからない言葉を意気揚々と口にしていたのだ。いまさらパソコンの前で赤面逆上したってもう遅い。

このように、わたしは博多弁のネイティヴである。標準的日本語は第二言語と言ってもいい。そしてここに第三言語である英語まで絡んでくる。もう頭の中は常にカオスであり、何らかの言葉や文章を頭の中で思いついても、自分が信用できない。「この言葉はそもそも全国的に通用する日本語なのか」「この英単語はカタカナ表記にすれば日本でもオッケーなのか」という疑問から、「博多弁やったらこう言うとばってん、標準語に翻訳したら微妙に意味が違うごたあ」「この英語は日本語の定訳がおかしい気がするし、英英辞書に書いてあることも違う気がする。ということは、わたしは平素、間違ってこの言葉を使っていたのか?」という疑惑まで、懊悩が止まらない。というか、懊悩することなしに言葉が使えない。なんという面倒くさい人生を生きているのだろうか。