先生はその銀色の糸のような頭髪を自ら一本引き抜き、指先でつまんで、子供部屋の窓から差し込む陽の光にかざしました。
「大丈夫、何もおそれることはない」
 先生は言いました。
「これを君のそのぐらついた糸切り歯に巻きつける。ほんの一瞬だ。痛みはない。なにしろ、それはもうほとんど抜けかかっているんだから」
 それは本当に一瞬で、イドには何が起きたのか分かりませんでした。
「本当だ。すっきりした」
 声をあげた少年の発音はおかしなところがなくなり、先生の手のひらの上に、あの横長の額の中に並んだ白い牙が──小さな白い歯がありました。


「おかげさまで、無事に退治できた」
 帰りしな、屋敷の門を出ると、先生はさらに強くなってきた風に眉をひそめました。
「僕はてっきり、あの少年が──」
 イドがそう言いかけると、
「吸血鬼に取り憑かれていると思いましたか?」
 先生が言い当てました。
「でも、それは正しい見解かもしれません。あの〈ヴァンパイア〉と呼ばれている菓子は子供の歯を脆くするのです」
「それで、あのように抜けてしまうのですか」
「ええ。しかし案ずることはありません。あれは乳歯です。すぐにまた生えてきて、それはもう子供の歯ではなく、永久歯と呼ばれます」
 帰路を行く二人に風が正面から襲いかかりました。
「雨や雷は何でもないんです──」
 銀色の髪が風になびき、先生の顔をあらわにしました。
「私はいつでも風がおそろしい」
 そう言って先生が首をすくめると、
「大丈夫です。僕がいますから」
 吹きつのる風から庇うように、イドは先生の前に立ちはだかりました。 


  
※次回の更新をお楽しみに!

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