しかし、母の爪を切るたびに思ったものだ。痛いのは気の毒だが、こうしてしばらくするとちゃんと伸びてくる。たいしたものだ。

爪だけではない。明るいところで顔をまじまじと見てみると、口の上にすぐ髭が生えてくる。鼻毛もしっかり伸びている。私は爪切りを鼻毛切りに持ち替えて、母の顎をつかむ。

「なにするつもり? 怖い」

「動かないでよ。髭が目立つから切るの! おー、鼻毛も伸びてるぞ」

「いやだいやだ、助けてくれー」

「大丈夫だって。ほら、きれいになったでしょ」

認知症の母を相手にこの手の攻防を何度繰り返したことだろう。ぴょこんと飛び出した鼻毛や白髪交じりの髭を切り落としながら、私はいつも安堵した。

なんたる生命力。どんなに歳を取ろうとも、身体はありとあらゆる細胞を駆使して新陳代謝を繰り返しているのだ。ひたすら淡々と、文句も言わず機嫌も損ねず、たとえその機能のスピードや勢いが衰えようとも、途中で「伸びるの、やーめた!」とギブアップすることはない。

母の身体はコツコツと生きている。鼻毛や爪を切るたびにそれを再認識し、細胞たちに感謝したものだ。

母より五年前に他界した父も、思えばよく爪切りを握っていた。考え事をしたり、来客を待ったり、ちょっとした時間を潰すとき、爪を切るという動作が好都合だったらしい。