上を向いているので表情はわからない。泣き笑いの顔に、笑いの割合が増えているような気がしたが、あんがい逆に、また男泣きしてしまいそうになっているのかもしれない。
 天井を見上げたまま、白石さんは言った。
「鍵、来週取り換えるんですよね」
「ええ。火曜日に業者さんが来ます」
「合鍵は、水原さんも持ってるわけですか」
「……メンテナンスがありますから」
 嫌な予感がした。意識を仕事にグッと寄せて、空き家管理の職業倫理を心の中で握りしめた。
「そうですか……」
 白石さんはつぶやくように相槌を打った。顔はまだこちらには向かない。
 言わないでください──。
 お願いです、これ以上は、もう、なにも言わないでください──。
 たとえどんなことを頼まれようと、引き受けるつもりはない。それだけは決してやってはならない。だが、聞きたくない。見たくない。拒むのは最初から決めていても、その前に、願いそのものを受け止めたくない。そんなことを願ってしまう同世代の白石さんの弱さを、思い知らされたくはない……。
 しばらく沈黙が続いたあと、白石さんは、ふう、と肩の力を抜いて、言った。
「カミさんによろしく伝えてください。あと、もし娘にも会うことがあったら、彼女にも」
 安堵した。うれしかった。その喜びのせいで返事の声は、「はいっ」という年甲斐もなく明るいものになった。
 白石さんは孝夫に目をやると、「オヤジ二人のおしゃべりが、この家の最後の思い出になるのって、どうなんでしょうね」と笑った。「家の建物、怒ってるんじゃないですか?」
 そんなことないです、応援してますよ、これからの詩織さんのことも、奈美恵さんのことも、それからもちろん、白石さんのことも──。
 言いたかったが、さすがに照れくさくなって、やめておいた。
 こういうときに照れずに言えるコツを、今度ケンゾーに聞いておこう、と思う。
 白石さんは「じゃあ、そろそろ帰りましょうか。駅まで送ってください」と言って、ゆっくりとソファーから立ち上がる。
 リビングを見渡して、無言で、深々と頭を下げた。ハッピーエンドにはならなかった。けれど、それは、紛れもなく家族の物語の大団円だった。
 白石さんは、孝夫が心の中で贈った拍手喝采を、聞いてくれただろうか──。(第二景・了)