「いい学校描写」からは切なさや懐かしさがこみあげてくる
今回ご紹介するのは、「学校」の描写だ。
学校。それは簡単なようで難しい場である。
学校といえばある程度共通認識が存在する。みんな自分のなかの学校のイメージがある。
そしてなにより、本当にたくさんの物語の舞台になる。
正直、「学校」以上に物語の舞台になっている場なんて存在しないのでは!? と思うほどだ。
だからこそ、学校でなにかしら起こる物語を読むとき、「いい学校描写」に出会うと、私はにっこりしてしまう。
自分がよく知っている場所だからこそ、ああ学校の匂いがちゃんとする小説っていいなあ、と思う。学校の、ノスタルジックでありつつ、それでいて手触りのある描写。それを読むとき、映画で単に学校の風景をうつされるだけでは感じない、なんともいえない切なさや懐かしさがこみあげてくるのだ。
実例を紹介しよう。恩田陸の『図書室の海』所収の短編集「図書室の海」に収められた一場面だ。
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図書室は重い木の引き戸の向こうである。
二階の外れ。ぽっかりと開けた空の向こうには、ケヤキの木のてっぺんがこんもりと広がっている。
この高校は高台にある。古くは城跡だったというだけあって、遠くから見ると要塞に見えないこともない。しかし、校舎の内側からは、生徒の注意を散らさぬためなのか、外の景色がほとんど見えない。見えるのは空だけだ。
夏はこの図書室が好きだ。校内には幾つかお気に入りの場所があるが、中でもここが一番好きだった。
特に、戸を開けて入った瞬間の開放感が心地好い。特別教室特有の広さ、天井の高さ。
ここは海に似ている。
夏はいつもそういう錯覚を感じる。
なぜか、この部屋に入ると、海原に出た船に乗っているような気分になるのだ。図書室と言えば読書というよりも勉強している生徒が目立つものだが、この高校の場合、別の場所に独立した自習室があるため、図書室は意外と空いている。
重く大きな古い机と椅子。机にはあまりにも多くの文字が卒業生によって刻みこまれており、もはや判別不能である。
(「図書室の海」恩田陸、新潮文庫、p217-218)
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