なんとなくイメージできる場所だからこそ
……ここまで解説してきて、お分かりになる方もいるかもしれないが。
この描写、すべて「主人公の高校生から見て気になるところ」によって語られるポイントが決まっているのである。
つまり、単に図書室の情景を描写しているわけではない。高校生目線で、なんとなく目にとまるところを選んで描写しているのだ。
単なる情景描写に見えて、徹底的に、語り手の目線は高校生にチューニングされている。
たとえば「重い木の引き戸」や「戸を開けて入った時の開放感」という記述は、実際に主人公が図書室に入っていく描写(たとえば「図書室に足を踏み入れた」など)がなくとも、主人公が図書室に入るときに感じることがわかるようになっている。
さらに図書室の場所や窓の外の風景、図書室の空間の記述は、ちゃんと高校生目線でどういうところが気になるか、おそらく考えられて書かれている。
だからこそ読者も、読んでいるうちにふわっと高校時代に戻ったような気になって、高校生目線で図書室にいっしょに入ることができるのだろう。
単に小説に必要だから、図書室を描写するのではない。きっともっと単調な図書室の風景を描くこともできた。だけどこの小説にとって図書室は特別な場所だから、ちゃんと主人公の目線にあわせて、図書室の空間そのものを描いた。
それは図書室という場が、単なる背景ではなく、主人公にとって手触りのある場所であるからだろう。
学校の風景を描くとき。学校というものが誰でも想像できる、なんとなくイメージできる場所だからこそ、主人公が学校の空間をどう感じているのか、なにに焦点を当てているのか、伝わってくる描写だと嬉しくなってしまう。なぜならそれは、なにより大切な、登場人物がここにちゃんと存在している、という説得力にも、繋がるからだろう。
※次回の更新は、12月2日(木)の予定です