「My other half」と「My better half」

わたしはまたも、感激した。

「そうなんです! 実はそこには思い入れがあって、だからわたしは自分の配偶者のことも『連合い』と『れ』抜きで表現することにしているのです!」

と、聞かれもしないことまでベラベラしゃべってしまったのだったが、「連帯」と「連合」はわたしの中ではまったく違う。個人的には、びっしりいつも強固に繋がって「帯」になるより、時々「合う」ぐらいの繋がりがいい。必要なときには一緒に物事をするけど、要らないときにはいなくてもいい関係のほうが楽だと思うのだ。

英語ではパートナーを指す言葉に「My other half」という表現がある。「私の半身」なんて、これもまた、一心同体、みたいな連帯系の言葉だ。「わたしたちは二人で一人」というような感覚は、恋に恋する年頃なら夢見るかもしれないが、ある程度の人生経験を積めば、そんな感覚は幻想だし、それ以上に、単なる幻想でよかったと思うようになる。わたしはわたしで立派に一人だ。誰かと一人になるなんて無茶だし、無理だ。

「My other half」の変形で「My better half」という表現もあり、これは「私の(私よりも優れた)半身」という意味で、相手のほうが自分より立派であるという謙遜の姿勢を示している。そしておそらくは、そんな出来たパートナーがいるからいまの自分があるのです、という感謝の気持ちが込められているのだろう。

そう書くと、いい言葉じゃないかと思われるかもしれない。が、この表現について考えるとき、わたしはある友人のことを思い出さずにはいられない。結婚していた英国人男性に「My better half」と呼ばれていたブラジル人の友人は、彼よりも忍耐力でも寛容さでもほんとうに優れていた。だからこそ彼の浮気とか借金癖とか、様々なことに耐え続けたのだったが、最終的には別れることになった。