屋外で勉強していた避難民キャンプの子どもたちのために、学校用大型テントを支援。(95年、サルシャヒ国内避難民キャンプ)
2021年8月、武装組織タリバンがアフガニスタンのほぼ全土を制圧した。アメリカ軍撤退とともに旧政権は崩壊。空港には国外へ脱出しようとする人々が相次ぎ、混乱が広がった。現在、タリバンの実質的な統治が始まっている。兵庫県宝塚市在住の西垣敬子さん(86歳)は、1994年から40回以上アフガニスタンに足を運び、女性の就労や就学が禁じられた旧タリバン政権下でも支援活動を続けてきた。彼女が見た市民やタリバンの姿とは――(構成=玉本英子<アジアプレス> 写真提供=西垣さん)

避難民キャンプに裁縫教室を開いて

私が支援活動を始めたのは28年前、東京で開催されたアフガニスタン写真展を訪れたことがきっかけです。地雷を踏んで足が血だらけの子どもの写真に胸が痛みました。この事実を多くの人に知ってほしいと思い、貸し出し許可を得て、地元の宝塚市で同じ写真展を開催したのです。

40万円の寄付が集まったので、もっと何か具体的にできることはないかと考え、アフガンの人道支援団体に連絡をとりました。そして1994年、寄付金を手に、隣国パキスタンから国連機に乗せてもらい、現地に入りました。この時、アフガニスタンは各勢力の武力衝突が続く内戦状態で、現地の同行者がいたとはいえ、緊張しました。

向かったのは、国内避難民キャンプ。支援団体の車で褐色の土漠地帯を走ると、地平線の向こうまでテントが並んでいました。

キャンプでは、栄養失調と45度にもなる夏の暑さに耐えられず、たくさんの赤ちゃんが命を落としていました。ミルクがあれば少しでも多くの命を救えたかもしれません。木の棒が地面に刺さっただけのお墓がずらっと並んでいるのを見て、私はうなだれました。

子どもの学校に使うためのテントを依頼され、帰路、パキスタンの市場へ行き、大型テントと2000人分のノートや鉛筆を手配。それ以降、毎年のように現地に向かうようになりました。59歳からのスタートですが、それが逆に良かったようです。ここは年配者を敬う社会で、私はどこでも丁重に扱われました。