来る2023年、中公文庫は創刊50周年を迎えます。その記念プレ企画として、本連載では「50歳からのおすすめ本」を著名人の方に伺っていきます。「人生100年時代」において、50歳は折り返し地点。中公文庫も、次の50年へ――。50歳からの新たなスタートを支え、生き方のヒントをくれる一冊とは? 第4回は、比較文学研究家でエッセイストの四方田犬彦さんに伺います。

四方田犬彦(よもた いぬひこ)

映画誌・比較文学研究家。エッセイスト。詩人。
1953年大阪府生まれ。東京大学にて宗教学を、同大学院にて比較文学を専攻。長らく明治学院大学教授として映画史の教鞭をとり、現在は文筆に専念。著書に『親鸞への接近』『われらが〈無意識〉なる韓国』『日本映画史110年』などが、詩集に『わが煉獄』などがある。近著に『世界の凋落を見つめて』。サントリー学芸賞、伊藤整文学賞、桑原武夫学芸賞、芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。

本を読むことの本当の面白さは

1万冊の書物をそれぞれ1度しか手に取ろうとしない人は不幸であると思う。なぜならいつも同じ、単一の書物を読んでいるにすぎないのだから。本を読むことの本当の面白さは、それをいくたびも繰り返し読むところにある。時間をおいて、こちらの関心や目的がすっかり変わってしまった後に、かつて親しんだ書物を取り上げてみる。それはまったく異なった姿を見せることだろう。一冊の書物の内側に隠されている複数の書物が、そこで読む側にむかって開花してみせるのだ。

長い間、マルクス・アウレーリウスに親しんでいた。彼について書物を著したこともある。この清廉潔白なローマ皇帝は、いたずらに書物を読むことの愚を説き、心を想像力から解き放って清浄な場所に置くことを徳とした。権謀術策が飛び交う宮殿にあって、妻の不貞の噂に苦しみながら、かかる禁欲の掟をみずからに課した。自分にむかって、そうあるべきと懸命に語りかけた。

わたしはマルクスに敬意を感じたが、いつからか簡素な文体で記されたその高潔な人生観を前に、いくぶんか息苦しさを感じるようになった。そのとき、わたしはセネカに立ち戻った。若き日に垣間見たものの、その文体を冗長な饒舌だと誤解して遠ざけたままになっていた文庫本を、書架の奥から取り出し、もう一度虚心に読み直そうと決めた。

40年の間にセネカはみごとな変身を遂げていた。冗長だと見えたものは文彩の優雅であり、単純な断定を避け、論じるべき問題にむかって様々な角度から接近しようとする態度の現われであった。饒舌だと忌避したものは、性急な年少者の逸(はや)る心を落ち着かせ、おもむろに腰を上げて語り出そうとするときの修辞だった。セネカはマルクスのように、落ち着かぬ自分の心を律するようにして筆を執ったのではない。若干の体験こそあれまだ経験の成熟に到達できずにいる真摯な青年にむかい、経年に由来する処方を語っていた。それを叡智と呼ぶか、老獪と呼ぶか。わたしは文庫本に飽き足らず6巻の翻訳全集を求め、偽書とされる書簡までに手を伸ばした。