フィクションだからこそ求められる「細かい描写」

……いやほんと「解像度が、高い!」と叫びそうになりませんか。

ここで、適当にパンとか牛乳とかを食べる風景で済ますこともできるだろう。姉と理香の会話を描くだけでも、まあ、話は通る。理香の焦りは、無言になった、とか書くだけでもいいわけだし。

しかしここで「玄米ブラン」という小道具を持ってくることで、一気に小説としての解像度が上がっている。

「なんで朝井リョウって女子が玄米ブラン的なものを朝ごはんにしたがるの、知ってるんだろう……」と、私は小説を読んだ当時感動したのである。しかもそれが、理香のぼそぼそとした焦りや不安を丁寧に表現している。

さらに、ティッシュのエピソードも、理香と姉のキャラの違いを端的に説明している。

きっとこのエピソードを読んだ読者は、「ああ、そういう人って、ティッシュめっちゃ使うのに、自分では買わないよねえ、わかる」と納得することだろう。

こういう、情景描写に取り入れられたちょっとした小道具によって、登場人物への解像度はいくらでも上がる。と私は思う。

「ああ、なるほど、そういう人ね」と読者はより理解できる。ティッシュ買わないタイプね、なるほどね、と。

逆に、雑に書けば書くほど――たとえばカロリーを気にしてそうな女子大生の朝ごはんがトーストにジャムにウインナーとか――読者としては、小説に集中できなくなる。別にリアルじゃないとか言いたいわけじゃなくて、単に、小説から透けて見える、人間に対する解像度の低さに萎えるからだ。

小説はフィクションだ。だからこそ、人間や世界に対して、細かい描写を見せてほしい。普通の人なら気づかないような、作者の理解をちゃんと示してほしい。

だってそういうものを読みたくて、読者は、現実には存在しないフィクションのページをひらくんだから。

 

※次回の更新は、12月16日(木)の予定です

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