細分化されたごく一部の世界の縮小体
確かに、ワーキングプアといわれる低所得者層は非課税世帯ではなく、単身世帯だと年収100万円を超えると給付の対象外になる。給付の対象を非課税に絞ることで分断を煽るという批判は至極まっとうなものだと思う。
「普通に」働いていれば非課税世帯にはならない、という意見も、「普通に」フルタイムで働けて、定職に就ける人からすれば、自然な感覚なのかもしない。
付き合う人の階層やバックグラウンドは固定化するものだ。
世の中の縮小体だと思っていた自分の周辺は、実は細分化されたごく一部の世界の縮小体に過ぎなかったりする。
比較というのはたいていその狭い世界の中でするもので、あまりにかけ離れた生活をする人たちは視界にすら入っていない、ということもある。
それを痛いほど感じるようになったのは、上京してからのことだ。
しかし、振り返れば幼いころから、この分断の片鱗に触れていたように思う。
今回は、少しだけ、幼少期を振り返ってみようと思う。
私が生まれ育ったのは、中国地方にある片田舎の小さな農村だ。
関西の大学に進むと同時に離れたが、それまで18年間住んでいた。
市街地から車を30分ほど走らせると、両脇を田んぼだけが流れる地域に入る。
道の延長線上には、まるで水墨画のような、ゴツゴツとした荘厳な山々がそびえ立っている。
土地の良さがわかるのは、外の世界を知るなど比較対象があるからで、旅行をしたこともなく、そこしか知らなかった私には、地元は「檻」のようにしか感じられなかった。
際限のない貧しさと、絶え間のない暴力を閉じ込める檻だ。