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高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は共倒れになる可能性も。自らも前期高齢者である作家の森久美子さんが、現在直面している、93歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづります

プライドが高い父

私は父のことを「パパ」と呼んでいる。後期高齢者である93歳の父に、昨秋前期高齢者になった65歳の私。しかし、言葉をしゃべり始めて以来一度も父を、「お父さん」と呼んだことはない。

外出先で「パパ」と呼びかける私を見た人に、呆れたような顔をされることがある。当然のことと理解できるが、今日まであらためさせようとしなかった父には、それなりの動機があったのだとも思う。

昭和一桁生まれで、終戦の年に成人した父は、進駐軍によって日本に入ってきたアメリカ文化に憧れていたのだろう。加えて、勤め先が広告代理店だったため、トレンディなことに飛びつく傾向が父にはある。知らず知らずに、映画の中のモダンな家庭に憧れを持っていたようだ。

パパとかダディとか呼ばれる父親が、仕事が終わるとケーキを買って家路につく。玄関で出迎える幼い娘は、「おかえりなさい」と駆け寄って父親の頬にキスをする。実際のところは、父が帰宅したことより、ケーキがうれしかった私は、箱を受け取ると急いで茶の間に持っていき、母に渡した。父にキスをしたことがないのは言うまでもない。

母は優しいけれどしつけに厳しい、日本の「おかあさん」といった雰囲気だった。そのせいか、私は母をママと呼ぼうとしたことはなかった。母が急病のために49歳で亡くなった時、父は54歳。それからおよそ40年、男やもめとして生きてきた。ジムに通うなどの努力をして、健康を維持してきたことは立派だと思っている。

一人で生きられる人は精神力が強い。死ぬまで人に頼らずに生きていけると信じている傾向がある。ご多分に漏れず父はそういうタイプだ。胃がんの手術のために入院する時私に言った。

「誰かから電話が来たら、ヨーロッパ一周旅行に出かけたので、しばらく留守にすると言ってくれ」

「別に嘘を言わなくてもいいでしょ」

私がたしなめると、父はこう言い放った。

「俺はスーパーマンだ。病気になるわけにいかない。退院したら、スーパーマンみたいなブルーのTシャツを着てジムに行くから、買っておいてくれ」