阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。日曜日に新しくラジオの仕事が始まったという阿川さん。しかし数年前まで、日曜日といえば「親の世話をしなければいけない」と、朝から覚悟を決める曜日だったそうで――。

※本記事は『婦人公論』2021年12月28日号に掲載されたものです

今年の十月から新しくラジオの仕事が始まった。日曜日の午前中、二時間の生放送である。

「神様は、一つの扉を閉めると、必ずどこかもう一つの窓を開けてくださる」

これはミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』に出てくるマリアの台詞である。私はこの言葉を中学生のときに知った。

その時点で自分がどれほど納得したか、はっきりとした記憶はないけれど、大人になって仕事を始めると、頻繁に思い出すようになった。一つの仕事をクビになるたび、心の支えとして思い起こした。そして今回、テレビのトーク番組のレギュラー仕事が終わってちょっと寂しく思っていたら、まもなくラジオの話が舞い込んだ。「新たな窓を神様が開けてくださったのだ」と合点した。

とはいえ、私にとって神様は、キリスト様と決めているわけではない。ならば仏教信者かと問われると、そうでもない。まことに不信心なことで恐縮ながら、困ったとき、弱っているとき、助けてほしいとき、「ああ、神様ー!」とつい口から出てくるほどのアバウトな存在であり、それはもしかしてご先祖様か、あるいはの神様かもしれない。「神様!」を「お母ちゃーん!」に置き換えることもある。

つまり、なにがあっても味方になって、どうにか困難を乗り越えるよう導いてくれて、しかし悪さをしたらなぜか決して見逃さず、じっと目を光らせていそうな存在。だからこそ怖くもあり、いくつになっても頭が上がらない。実在するかしないかは別として私の気持のなかにそんな神様が常にいる。

新たな窓が開いたおかげで毎週日曜日の朝、私は寝坊をしている場合ではなくなった。

格別、寝坊したいと望んでいるわけではないのだが、なぜか日曜日の朝は、静かである。世の中が騒々しくない。だからどうしても惰眠をむさぼりがちになる。

それでもだいたい八時頃にベッドを這い出して、歯を磨いたり顔を洗ったり、拡大鏡を覗いて肌の調子やむだ毛方面のチェックをしたり。台所へ移ってコーヒーを淹れ、テレビをつけてしばらくニュースに気を取られ、バルコニーへ出て植物に水をやり、ああ、今日もいい天気だなあとのんびり構えているとき、突然、思い出すのだ。

「あ、ラジオの仕事に出かけるんだった!」