近藤サト(こんどう・さと)
1968年岐阜県生まれ。91年、フジテレビにアナウンサーとして入社。8年間の勤務を経て退社し、フリーに。テレビ番組のコメンテーターをはじめ、ナレーション、朗読など幅広く活躍。日本大学芸術学部特任教授も務める。著書『グレイヘアと生きる』がある。
※2022年3月10日より、公式YouTube『サト読む。』がスタート。読むをテーマに怪談、新書紹介、140文字の感謝、ニュース原稿など様々な内容に挑戦します。https://satoyom.com/
年を重ねたからこその「想像力」
「人生100年、50歳は折り返し地点」と言いますが、この折り返しって言葉が私はあまり好きではありません。
箱根駅伝じゃあるまいし、往復で折り返したらまたスタートに戻っちゃうじゃない! そんなへそ曲がりなことを言う私ですが、人生を50年以上生き、そこそこ本も読んできて「ああ、これは年波の賜物だわね」と感じるのは、いろいろ経験したからこそ、より具体的に想像する力がついたことです。
全体、よくいう想像力の豊かな子供って、何を想像しているんでしょうか。
岐阜県の山間部に育ち、世の中も知らず、呑気に時間を費やしていた少女時代、私にとって例えば、夏目漱石の『こころ』は、想像の限界を超えていました。
本郷台を西へ下りて小石川の坂を真直に伝通院の方へ上がりました。
そもそも田んぼや里山が日常でしたから、これはこれは田舎者を寄せ付けない仰々しそうな場所やわ……とビビり、そのうえ周りの大人では会ったこともないような辛気臭い男がいかにも頭の良さそうな顔つきでその恐ろしげな坂を下ってまた上がる……なんやよう分からん、くらいにしか想像がつきません。
彼の心臓の周囲は黒い漆で重(あつ)く塗り固められたのも同然
このくだりも、いかに苦しい心の状態なのか、正月の漆の重箱を想像して考えるより他ありませんでした。でも、それから数十年齢を重ねた今の私には、
この幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなかろうか
という先生の言葉に、己の心の澱を弄(まさぐ)ってわずかに近しいものを探り当て、得心し、先生の佇まいを思い描き、心情をすっかり推し量ることができるのです。
ただし、この行為は私のあまり好まない「折り返し」の読書なのだと思います。それは人生を振り返るきっかけになり得ますが、私は元来、人生一直線タイプ。どうせなら、現実ではいまだ見ぬ世界に、読書を通じて触れてみたい。
そこで、同じく想像力自慢の50代以降の方々と、ぜひとも共有したい本があります。
深淵な絵画的世界へ
石川忠久著『漢詩鑑賞事典』(講談社学術文庫)です。厳選された中国の名詩250編に、読み下し、丁寧な翻訳、品格に満ちた鑑賞の手引きが添えられています。
中でも私の想像力を刺激してやまない2編をご紹介しましょう。
鹿柴(ろくさい) 王維
空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上
深山は果てしない静寂。どこからかともなく微かに聞こえる人の声。
静けさが最も深くなった時、沈みかけた夕日が木々の隙間から林に差し込む。すると光が一瞬だけ、ひっそりと息づいている苔を照らす。
思いがけず、燦然と浮かび上がる地上の青。
息を呑む絶景です。詩が呼び起こす壮大な絵画。
江雪 (こうせつ) 柳宗元
千山鳥飛絶
萬徑人蹤滅
孤舟簑笠翁
獨釣寒江雪
見渡す限りの山々に飛ぶ鳥一羽も無く、道という道に人の姿もない。見ると、小舟に簑笠を被った老人。たった独り釣り糸を垂れている。山と河と老人、雪は音もなく降り積もる。
過酷で容赦ない自然を想像させるこれもまた絵画的漢詩です。さらに各句の最初の漢字と最後の漢字を縦読みすると、「千萬孤獨」「絶滅翁雪」。一体どれほど途方もない孤独か。