イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。Webオリジナルでお送りする21.5回は「圧倒されるにいたらない日々」。似た題材を扱った映像作品でも、アプローチのしかたがまったく異なるアメリカとイギリス。連合いが考えるその理由とは(文=ブレイディみかこ)

『ドント・ルック・アップ』という映画

なんだか最近、暗い話ばかり書いている。ここらで一発ユーモアがほしいところだが、日常には愉快な話が転がっていない。だから映像の中の「笑い」の話でもしたいと思う。

Netflixの『ドント・ルック・アップ』という映画が話題になっている。レオナルド・ディカプリオやジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープなど錚々たる顔ぶれが出演していて、日本でも今年のお正月ぐらいに、作家や批評家、編集者などの方々が「最高だった」「笑った」などのツイートをさかんに投稿しておられた。すでに映画を観られた方には申し訳ないが、未見の方々のために少し内容に触れておくと、巨大彗星が6ヵ月後に地球に衝突することを把握した天文学者とその教え子が、政治家やメディアに人類滅亡の危機を訴えようとするのだが、まともに取り合ってもらえないという話だ。彗星衝突なんて陰謀論だとバッシングする人々だけでなく、彼らを使って儲けようとする人、政治的に利用しようとする人などが現れてしっちゃかめっちゃかになり、彗星がだんだん地球に近づいているという現実から人々の目を逸らすため、米大統領は「ドント・ルック・アップ(空を見上げるな)」と言って扇動を始める、というブラック・コメディだ。

これを観たとき、わたしが真っ先に思い出したのは『Years and Years(邦題:2034 今そこにある未来)』というタイトルの英国ドラマだった。2019年にBBCが放送したこのドラマと前述の映画は、トランプ前大統領の登場やポピュリズム、陰謀論などの社会問題を風刺しつつ、近未来を描いている点でよく似ているのである。

しかし、二つの作品は、扱っている題材は似ていても、アプローチのしかたがまったく違う。英国に住んでいる地元民の欲目もあるのかもしれないが、わたしは英国産のほうが好きだ。なぜだろう。

ここに、笑いのセンスの違いという問題が浮上するのである。

どちらの作品も、政治や社会を皮肉るアイロニーに満ちた映像ではあるのだが、米国産の『ドント・ルック・アップ』が戯画的であるのに対し、英国産の『Years and Years』はリアルで等身大なのだ。だから、前者は大笑いして終わるタイプの作品だが、後者は笑いのセンスがやけに物悲しく、ひたひたと胸に押し寄せてくる感動さえある。