英国のためにある言葉

その理由には、作り手の目線もあるのではないか。前者は「みんなバカだ」という目線で撮られているが、後者には明らかに「バカばっかりだけど、そのバカの1人は自分」という目線の低さがある。だから嘲笑になっていない。アイロニーをペーソスの領域にまで持っていっているというか。

「そういう目線になるのは、やっぱ、俺たちの国のほうがしょぼいからじゃないか」

と言ったのは連合いである。以前なら、このような話は映画評や劇場用パンフレットの原稿に書くだけのものだったが、最近、連合いとよくこういう話をする。病床にある彼は、ほかにすることもないので、病院に持って行ったわたしのiPadで映画やドラマばっかり観ているからだ。

「しょぼい」というのは、連合いが使った「underwhelming」という言葉を勝手にわたしが訳したものだ。「overwhelming(圧倒される)」の対義語としての「underwhelming(圧倒されるにいたらない)」である。これは米国と比較して英国を語るときにはぴったりの言葉だと思う。その理由は、ホワイトハウスと英国首相官邸を見比べただけで明らかだろう。

「ははは。その言葉、まさに英国のためにあるような……」

「だろ。俺はこの国を表現する言葉にこれ以上のものはないと思う」

わたしがそう言うと、苦々しい顔をして連合いがベッドの上から窓の外を見たので、また「俺の人生もunderwhelming」とか暗いことを言い出しそうな予感がして先手を打つことにした。

「でも、だからわたしはこの国に来たんだろうと思うよ。しょぼいほうが合ってるもん」

実際、そうなのである。子どもの頃、周囲の少女たちがみんな「アメリカに行きたい」と言っていたときに、なぜかわたしだけは「イギリスがいい」と言っていたらしい。しょぼい国のほうが貧乏で地味なわたしの身の丈に合っている、などという卑屈なことを小学生が考えていたとは思えない。が、華やかなものや派手なものが苦手な性質はおそらくその頃から一貫している。

だから、ひたすらすべてが真っ白で、何の飾り気もないNHS(国民保健サービス)の質素な病室の内装にしても、人が言うほど悪いものではないと思う。などということを考えていると、連合いの検温の時間になった。

今日は37度だった。圧倒されるにいたらない体温である。生活も、人生も、このぐらいがちょうどいい。この平熱と平穏がずっと続いてくれるといいのだが。