『婦人公論』2021年7月13日号から連載がはじまった、重松清さんの小説『うつせみ八景』。
発売中の最新号を除く全編を掲載します。

「前回までのあらすじ」

58歳で役職定年を迎え、出向先の「タマエス」で空き家のメンテナンスや新規事業に携わる水原孝夫。妻・美沙は3年半続いた両親の介護から解放され、自分の時間を謳歌している。戦隊ヒーローとしてデビューした俳優の息子・研造(ケンゾー)は鳴かず飛ばず。劇団とアルバイトを掛け持ちする日々だった

「著者プロフィール」

重松清 しげまつ・きよし

1963年岡山県生まれ。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞、14年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。近刊に『ひこばえ』『ハレルヤ!』など。20年7月に『ステップ』が映画化された(飯塚健監督・山田孝之主演)

第四景

「ココロの空き部屋を満たすもの(1)」

 忍者Aがステージ中央の石垣から勢いよく跳び上がり、空中で一回転して、ぴたりと着地した。

 その直後、ステージの上手と下手から同時に現れた忍者BとCは、軽やかな助走から宙返りをして、ぶつかるかどうかのぎりぎりですれ違う。助走のコースや位置やジャンプのタイミングがほんのわずかでもずれていたら、二人は空中で激突していただろう。

 美沙は歓声とともに席から腰を浮かせ、頭上で大きく拍手をした。

「すごーい! ねえねえ、いまの見た? ぶつかりそうだったじゃない?」

 立ち上がったまま、隣の席の孝夫を覗き込んで、はずんだ声をかける。

 わかったわかった、と孝夫は苦笑交じりにうなずいて、手を叩いた。いかにもおざなりな拍手に、美沙は不服そうな顔になった。孝夫にもわかっている。ノリが悪くて申し訳ないとも思う。

 だが、さっきから、美沙のリアクションは周囲から浮きまくっているのだ。大げさすぎる。ノリがよすぎる。付き合うのが気恥ずかしい、というより、隣に座っているだけでも、かなりのプレッシャーなのだ。

 ついさっきもそうだ。忍者Aが敵の攻撃をバク転を繰り返してかわしていたとき、悲鳴をあげて忍者Aを応援していた美沙を、三列前の席にいた若いカップルが怪訝そうに振り向いた。そのときの二人の表情の冷ややかさが、孝夫には忘れられない。あれは明らかに、おばさん──いや、おばあさんの、年甲斐もないはしゃぎっぷりを哀れんでいたのだった。

 ステージでは、忍者A、B、Cの歌が始まった。十年近く前にオンエアされていた、忍者を主人公にしたアニメ番組の主題歌だった。当時はかなりヒットして、いまでもイントロやサビのメロディーは、たいがいの人が聴けば「ああ、あれね」と思いだすはずだ。

 ただし、ストーリーとはなんの脈絡もない。唐突な展開だった。さらに続いた二曲目、三曲目は、もはや忍者のつながりもなくなって、ただの人気アニメの主題歌メドレーになってしまった。

「これ……話に全然関係ないよな」

 思わず言うと、美沙はムッとして「いいじゃない、ミュージカルなんだから」と返した。「ヤボなこと言わないで、出されたものを素直に愉しめばいいの、こういうのは。ねっ?」

 と、言われても──。

 納得できない孝夫に、美沙は目配せで、いいから黙ってて、と伝えた。深追いなし、理屈なし、いまはとにかくお客さんに徹して愉しめばいいの……。結婚三十三年目の以心伝心、阿吽の呼吸で、孝夫も黙ってうなずいた。