2021年10月から、吉田篤弘さんによるweb書き下ろしの掌編小説連載がスタートしました。

2023年に創刊50周年を迎える〈中公文庫〉発の連載企画です。物語は毎回読み切り。日常を離れ、心にあかりを灯すささやかな物語をお楽しみください

「著者プロフィール」

吉田篤弘 よしだ・あつひろ

1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を続けている。著作に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『おるもすと』『天使も怪物も眠る夜』『月とコーヒー』『それでも世界は回っている』『屋根裏のチェリー』『ソラシド』など多数

第11話

「フランカと三つの黒い箱」

「もし、あなたに足りないものがあるとすればね」
 ギター教室の先生が、フランカに教えたのです。
「恋を知ることかもしれないわ」
 いずれ自分も、先生のような女性になりたいとフランカは願っていました。いかにも人生経験が豊富そうなのに、自分のことをくどくどと話したりしない。簡潔で、華があって、いつでも堂々として落ち着いている。そのうえ、うっとりするような素晴らしいギターを弾くのです。
 フランカは十六歳でした。
 その年齢が、まだずいぶんと若いと考えるべきなのか、それとも、恋がどんなものであるかを知るには充分な年齢なのか、判断がつきませんでした。
 しかし、そうして自分にもよく分からないものは、しばしば向こうからやってくるものです。
 レッスンを終えた帰路の途中、かならず見かける男の人がいました。名前は知りません。背が高くて、鼻も隆く、どこか憂いをたたえた目で遠くの方を見ています。
 いつ見ても、花束を抱えていました。
 片方の手では持ちきれず、両手で抱えるほどの花束がその人の姿かたちとひとつになっていました。
 その人を見かけるたび、フランカは自らのギター・ケースを胸に抱いて夢想するのです。
 彼はきっと愛しいひとを失ったのだ。それは誰だろう? 恋人だろうか。それとも、母親か、姉か──いえ、違います。
 それはきっと妹に違いありません。わたしと同じ年格好の妹です。
 それで、毎日、あの人は花束を抱えて帰り、妹の写真の前に飾るのです。

 

「あら?」
 ある日、先生が顔を上げてフランカの目を見ました。
「ギターの音色が変わったわね」

 フランカもそんな気がしていました。音色の変化だけではなく、以前にも増して、ギターを弾くことに喜びを感じるのです。
「何かあった?」