2021年10月から、吉田篤弘さんによるweb書き下ろしの掌編小説連載がスタートしました。

2023年に創刊50周年を迎える〈中公文庫〉発の連載企画です。物語は毎回読み切り。日常を離れ、心にあかりを灯すささやかな物語をお楽しみください

「著者プロフィール」

吉田篤弘 よしだ・あつひろ

1962年東京生まれ。小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作と装幀の仕事を続けている。著作に『つむじ風食堂の夜』『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『おるもすと』『天使も怪物も眠る夜』『月とコーヒー』『それでも世界は回っている』『屋根裏のチェリー』『ソラシド』など多数

第12話

「花を運ぶ舟」

 聴診器が胸にあてられるとき、エリカはいつも、(つめたい)と声をあげそうになりました。診察室を出たあとも、なにやら、ひんやりとしたしるしが胸にのこされているようで、
「お嬢さん」
 と耳にはドクターの低い声がのこっていました。
「やはり、どこも悪いところはないようです」
 けれども、エリカはいつも眠いのでした。母親は、
「きっと、眠(ねむ)り病(やま)いだわね」
 とエリカの緑色の瞳を見つめて言うのです。
「おばあさんが、そうだったから」
 祖母の名前も「エリカ」でした。
「わたしと同じ名前にするといいわ──」
 そう言って、祖母自身が名づけてくれたのですが、エリカが生まれて間もなく、
「天に召されたの」
 母親から、そう聞いていました。
「予言する犬の言葉どおりにね」
 予言犬ジェラルドは、祖母が大切に飼っていた雑種犬です。その犬もまた、眠り病いを患っていました。
 ジェラルドのことなら、エリカも少しだけ覚えています。いつも眠っていて──つまり、祖母も眠っていたけれど、そのかたわらから離れなかったジェラルドもまた眠っていました。その様子を写した一枚の四角い写真が、エリカの部屋の机の前に鋲でとめてあります。
 四角い枠の中で、気持ちよさそうに眠っている祖母とジェラルドが寄り添っていました。
「眠りの中でジェラルドから聞いたのよ」
 眼覚めるたび、祖母は言いました。
「明日の天気は夕方から雨で、今年は葡萄がよく育つ。そして、わたしの孫は女の子で、わたしと同じ名前になるだろう──ジェラルドが、そう言ったの」
 予言は、すべてそのとおりになりました。
 四角い写真を眺めながら、エリカは苦いコーヒーを口に含みました。エリカにしてみれば薬のようなもので、とびきり苦いのを、小さなカップでひと口だけ飲むのです。