『婦人公論』2021年7月13日号から連載がはじまった、重松清さんの小説『うつせみ八景』。
発売中の最新号を除く全編を掲載します。

「前回までのあらすじ」

空き家のメンテナンスや新規事業に携わる水原孝夫。妻・美沙は介護ロスから抜け出し自分の時間を謳歌中。大型連休の最終日、息子の研造(ケンゾー)が主宰する劇団の舞台を見るため北関東の遊園地を訪れた二人。まばらな観客の中でひときわ熱狂的に声援を送る年配女性3人組を見つけた

「著者プロフィール」

重松清 しげまつ・きよし

1963年岡山県生まれ。99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、同年『エイジ』で山本周五郎賞、2001年『ビタミンF』で直木賞、10年『十字架』で吉川英治文学賞、14年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。近刊に『ひこばえ』『ハレルヤ!』など。20年7月に『ステップ』が映画化された(飯塚健監督・山田孝之主演)

第四景

「ココロの空き部屋を満たすもの(2)」

ケンゾーは〈本日の主役〉のたすきを肩に掛けて、花束をあらためて胸に抱き直した。おばさん三人組は大はしゃぎで、スマホのカメラで連写しつつ「ホムちゃん、ステキッ」と歓声をあげ、拍手喝采をする。

 ステージに並ぶ劇団員たちもそれを見て、端っこにいたケンゾーに真ん中に来るよううながした。最初は遠慮していたケンゾーだったが、若い仲間たちに手を引かれ、お尻を押されて、照れくさそうに歩き出す。ステージ中央にいる忍者A、B、Cも、満面の笑みとうやうやしいしぐさで場所を空けて、主役を譲った。

 三人組もケンゾーを追ってステージの正面に移り、ぴょんぴょん飛び跳ねながら声援をる。いったいいくつ

用意していたのか、クラッカーがまた惜しみなく何発も鳴らされ、「昭和」の香り漂う紙テープまで放られた。

 ケンゾーはその熱烈な応援に、愛想良く応える。松葉杖のグリップから右手を離してカメラ目線で指ハートをつくり、たすきの〈本日の主役〉の文字が隠れないように、左手に抱く花束の位置を微調整するのも忘れない。

 これで満員の客席から拍手喝采が湧き上がるのなら、感動のカーテンコールの光景なのが──。

 現実は厳しい。孝たか夫お はため息交じりにイベント広場を見渡した。舞台が終わり、ランチタイムも終わると、客席は閑散としてしまった。居残った数少ない人たちも、食事やおしゃべりに夢中で、誰もステージのことなど気に留めていない。ケンゾーの周囲がにぎやかであればあるほど、その落差が際立って、見ているこちらが居たたまれなくなる。

 さらに、美沙が小声で言った。

「ねえ。ケンちゃん、さっきから困ってない?」

 客席の様子を気にする孝夫に対し、美沙のほうはケンゾーだけをじっと見ていた。

「ほら、いまの瞬き見た? 見たでしょ? 子どもの頃から、あの子、無理して笑ってると瞬きが増えて、力んじゃうの」

 お目当てのものではないプレゼントを「これが欲しかったのよね?」と渡されたときや、いきさつを誤解されて「ケンちゃん、えらいえらい」と褒めてもらったとき、ケンゾーはいつも「ありがとう」と笑顔で応えながら、何度も強く目を瞬くのだという。

「……そうだったっけ」

「知らなかったの?」

「いや、まあ……」

「ほんと、子どものこと全然見てなかったもんね」

 行きがけの駄賃のようにチクリと針を刺してから、

「いまもそんなふうに見えない?」と訊く。