出家前、40代半ばの寂聴さん。当時の書斎にて。写真:『中央公論』1967年08号より
2021年11月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが亡くなりました。享年99。34歳のとき瀬戸内晴美の名で作家デビューすると、女性の生き方を描いた作品を次々に発表し、一躍人気作家に。それから51歳で得度(とくど)、出家して名を寂聴と改めると、以後は作品や法話を通して、人々を《ことば》で導くようになりました。75歳当時の寂聴さん、自分が生きた20世紀をふりかえると「女の貞操が死語になったこと」が特に大きな変化だったと実感していたようで――。(『婦人公論』1998年1月号より)

無邪気に期待する好奇心を失いたくはない

63年前、私が徳島の女学校に入学した時、割烹(かっぽう)の時間というのがあって、袴をつけた美しい若い先生から、「洗濯板の有効な使い方」というのを教えてもらった。今、古道具屋にも、洗濯板などめったに見つからないし、まして、しんし張り、張板(はりいた)など、見たこともないお母さんばかりになってしまった。

その分、主婦は家庭の労力がはぶけ、余暇を有効に使い、キャリアウーマンになって外に出て働くようになってきた。

こういう例こそ、世の進歩、改革というもので結構なことであろう。しかし同時に核家族制度が進み、老人は旧き遺物のように扱われ、子供たちは行儀知らずの、智育ばかり先行した、徳育を受けない母親たちに育てられ、感情教育もないがしろにされているので、情緒不均衡な子供が増えるというマイナス面も生んできた。

今の若い母親は、自分の2倍も3倍も長く生きた老人たちの豊かな智慧と経験を利用活用することを知らない。これも彼女たちの受けた教育の、智識偏重教育の悪しき遺産である。

しかし一方、老人たちは自分の経験や好みを固執して頑迷固陋(ころう)になっていることも事実である。

老人も中年も若者も、自分たちが一番正しいという誤った自信を捨て、全く新鮮な、何ものにも染まっていない無垢な感性を取りもどし、日々自分をもっと柔軟にして、新しく改革していけば、今よりはるかになめらかな家族関係、人間関係が生れて快適になるのではないだろうか。

年が新たまる度に、何か今年こそいいことがあるのではないかと、期待を抱くのは人情の常だろう。

まだしみのついていない新しい暦に、どんな思い出が書きこまれるか、どのような新しい嬉しい人間関係が生れるか、無邪気に期待する好奇心を失いたくはない。