イギリス在住のブレイディみかこさんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「転がる珠玉のように」。Webオリジナルでお送りする24.5回は「偶然はこわくない」。人の思考力を超える出来事が世の中にはある。ブレイディさんも想像していなかったできごとがおこるそうで――

よりにもよってこのタイミング

何においてもそうだが、わたしたちはいろんなことを理解しようとして本を読んだり、自分なりに分析したりして頭の中でわかろうとする。わかる(と自分で思う)ようになるとスッキリするし、なるほどそういうことなのかと思えるようになれば、似たような事象に出会ったときに「え、こんなの初めて」と動揺しなくなる。つまり、自分は無防備であるかもしれないという不安が解消されるのだ。

ということは、人間は安心感を求めてさまざまなことを学ぶのだろう。「わかったからもう怖くない」が学びの原点だとすれば、人に本を読ませたり、情報収集させたりする原動力は不安回避願望ということになる。

とはいえ、世の中ではこの不安回避願望や調査・学習の成果を吹っ飛ばすようなことが時おり発生する。
どうしてよりにもよってこのタイミングで起こらなければならなかったのか、というような偶然が現れ、人間の小さな思考力でちまちま考えても因果関係がさっぱりわからない領域を垣間見せるのである。

たとえば数年前、エンパシーとシンパシーという概念について原稿を書いていたとき、久しぶりに日本食店で買ってきた豚骨ラーメンを作りながらiPadでサッチャー元首相に関するドキュメンタリーを見ていた。さあ、できました、とボウルにラーメンを入れ、座ってズルズル食べ始めたところで、「彼女にはシンパシーはあったけどエンパシーはなかった」というサッチャーの元側近の声が耳に飛び込んできたので、麺が喉の変なところに入って死ぬかと思うほどむせたことがあった。どれほど本を読んでもわからなかったことが、ラーメンを食べていたら降ってきたのである。