今はもうなくなってしまったが、かつて読売新聞に、週末だけの連載小説のページがあった。挿絵も美しく、ゆったりとした贅沢なスペースで、そこに連載したのが『ミーナの行進』だった。
当時、芦屋に引っ越したばかりだったため、神戸とも大阪とも微妙に異なる独特な阪神間の文化に興味を持ち、できればそこを舞台にして何か書きたいと思ってはいたが、連載がスタートする前、具体的な物語の枠組みは全く固まっていなかった。どんどん約束の日にちは近づいてくる。新聞の連載は初めてで、執筆のペースのイメージがわかない。まだ一行も書いていないのに、タイトルを決めなくてはいけない。ああ、一体どうしたらいいのだ……と、絶望的な気分に陥り、歩いている途中、道の真ん中にしゃがみ込んでしまったこともあった。
とにかく芦屋市立図書館に通い、阪神間の歴史に関わりのありそうな資料を読んでみた。小説にどうつながるかなど分からないまま、心に引っ掛かる箇所は何でもノートに書き写していった。そうしているうち、ふと、小さな記事が目に入ってきた。
『西芦屋町~続報・伊藤動物園~ 昭和の初め、七ふく製薬株式会社の二代目社長・伊藤長兵衛氏が、私費を投じて開園した「伊藤動物園」への情報が、これまでに皆さんから多く寄せられました。……』
園内にはリス小屋、サル小屋、小鳥小屋などの他に、トロッコ列車やうんていもあったらしい。見取図には橋や睡蓮の池、動物のお墓も見受けられ、かなり大掛かりな園だったことがしのばれる。そして、本文中にさり気なく次のような一行が記されていた。
『……氏の息子であった正太郎氏は、動物園で飼われていたロバにまたがり、精道尋常高等小学校(現精道小学校)に通っていたという……』
ここを読んだ時、私はミーナに出会ったのだ。動物に乗ったミーナの格好も、顔の形も、それを見送る語り手の少女の姿も、彼女たちが暮らす邸宅の風景も、すべてがありありと浮かんできた。それまであやふやだったものがすべてつながり合い、人物の輪郭が描かれ、彼らの声が聴こえはじめた。
しかし、私がミーナを発見したのではない。彼女が先回りして、私を待っていてくれたのだ、という気がする。表情がどこか待ちくたびれたように見えたからだ。
あとはもうミーナについてゆくだけでよかった。行進の一番後ろを、遅れないよう気をつけながら、耳を澄ましながら歩いてゆけば、自然とその足跡が、物語になっていた。
今でも文庫本を手に取ると、ミーナと《私》の内緒話が聴こえてくる。『ミーナの行進』の登場人物たちに感じる深い親愛の情には、他の作品にはない特別なものがある。
(2006年4月 中央公論新社/2009年6月 中公文庫)
●内容紹介
美しくて、かよわくて、本を愛したミーナ。あなたとの思い出は、損なわれることがない――ミュンヘンオリンピックの年に芦屋の洋館でつむがれる、ふたりの少女、そしてコビトカバとの時間。寺田順三のあたたかなイラストとともに贈る、新たなる家族の物語。