量が減っていく日本の食品

先日、日本の人とZoomで打ち合わせしていたとき、この「そんなものだ」と慣れる感覚は恐ろしいという話になった。彼に言わせれば、日本でそれを痛感するのはコンビニやスーパーで買う食品だという。円安や何やで物価が上がっているのは確かだけど、日本の場合は商品全体の値段を上げるのではなく、パッケージの中の食品を減らすことで対応しているケースが多いらしい。つまり、価格は据え置きなのだが、明らかに量が減っているので、結局は値上がりと同じことになる。バーンと正面から値上げするのではなく、コソコソやっているところがなんとなく姑息な感じのするやり方だ。

打ち合わせの相手も、最初はそのことに憤りを覚えたそうだが、どこの企業も同じことをやっていると「そんなものだ」と思うようになったという。それに、そもそも日本は高齢化が進んでいるのだから、年をとるとみんなそんなに多い量は食べられない。それならパッケージの中の量を減らすぐらいのほうが、食料を無駄にせずに済むからいいのではないかと前向きに捉えるようになったという。

そんなことを言っても、日本にも食べ盛りの子どもや若者だっているのだから、少量になってしまったスナック菓子やお弁当などに不満を感じる人たちもいるだろう。「そんなものだ」がホラーである所以は、状況を前向きに捉えて自分を納得させているうち、その状況を前向きに捉えられない人々の声を抑えつける側に回っていることが往々にしてあるということだ。

この「そんなものだ」現象は、英国のコロナ感染状況にもそのままスライドできる。英国はコロナ関連規制を完全に撤廃したので、入国者の規制もいっさい行っていないし、マスク着用すら義務化されていない。だから最近、スーパーや薬局に行ってもマスクをしているのはわたしだけだったりして、珍しいものでも見たような目で人々から見られるときがある。ほんの数ヵ月前まで、あなたたちだってマスクをして買い物していたじゃないですか。と言いたくなるが、本当に年々、人々の記憶のスパンが短くなっているように感じる。