講談に始まり神田伯山へ続く、史伝の伝統

小さな出来事の周りに集まる大量の人物を延々と綴りながら、しかし退屈感も飽食感も湧かないのは、その文体にある。対象の内面に深入りするのも、自分の内面を見せることも極力避け、漢字を多用して事実を淡々と綴る文体は、漢文の素養が下支えしている。たとえば、渋江家の祖の允成(ただしげ)に仕えていた一人の女性について、

「当時津軽家に静江という女小姓が勤めていた。それが年老いてののちに剃髪して妙了尼(みょうりょうに)と号した。妙了尼が渋江家に寄寓していたころ、おかしい話をした。それは允成が公退したあとになると、女中たちが争ってその茶碗の底の余瀝(よれき)を指に承(う)けて舐(ねぶ)るので、自分も舐ったというのである」

鴎外は、配下の女性に手を出さなかった主人の允成の謹厳さを直接書くのではなく、老女の回想を漢文口調で差し込むことでなしている。

硬さを特性とする漢文調は、対象との距離をコントロールしやすい分だけ歴史の叙述にはふさわしい。漢文調とまではいえないが司馬遼太郎の『坂の上の雲』の魅力も、文の硬度にあるだろう。この伝統の元をたどると、話の面白さを旨とする落語でも人情の機微に訴える浪花節でもなく、過去の史実を元にした講談に発し、鴎外の史伝さらに中島敦の『李陵』を経て、司馬遼太郎の仕事にいたり、現代の神田伯山まで続く。もし鴎外の史伝がなければ、日本の近代文学はヨーロッパ系の内容と文学だけに納まり、ずいぶん深みの欠けたものになっていただろう。

ほぼふつうの人物の生涯をたどって何が深い感銘を与えるかについて改めて考えると、”時間が確かに流れた”と感じさせることではないか。50歳を過ぎたあたりから、時間の流れに人は敏感になる。誰の上にも同じように流れる時間という目にも見えず体でも分からないものを、鴎外は文を通して読者に伝えることに成功した。

『渋江抽斎』森鴎外著(中公文庫)

推理小説を読む面白さ、鴎外文学の白眉。弘前津軽家の医官の伝記を調べ、その追求過程を作中に織り込んで伝記文学に新手法を開く。〈解説〉佐伯彰一