旅券局は大混乱

数日後に電話してみてくれと言われたのでそうしてみると、「プーッ、プーッ、プーッ」と通話中の音が5回鳴ってブツッと勝手に切れた。ふつう役所というものは、通話が混んでいるときには、何か爽やかな音楽を鳴らしたりして、「ただいま混んでおりますのでお待ちください。あなたの順番は7人目です」とかいう音声が聞こえるものだが、もはや旅券局はそれすらやっていなかったらしい。おそらく物凄い数の人々が電話してくるので、システムがついていけないのだろう。

ブライトンで申請したパスポートがウェールズにあると言われて――(イラスト提供:イラストAC)

それでも彼女は諦めずに毎日電話をかけ続け、ついに先方に繋がった。が、電話に出た係員は、なぜか彼女の子どものパスポートはウェールズの旅券局にあると言う。なぜイングランドの、しかも思いっきり南のブライトンで申請したパスポートがはるか西方のウェールズにあるのか不思議だったが、この時点で彼女とパートナーは強い旅券局不信に陥っており、「ではウェールズに取りに行きますので、そこから動かさないでください」と頼んで直接行くことにした。が、朝まだ暗いうちから車を飛ばし、ウェールズの旅券局の窓口に行ってみると、「うちにはありません」と言う。

怒り心頭に発した彼女は、翌日ロンドンの旅券局に殴り込もうとしたが、とんでもない行列が玄関前にできていて、それは1980年代のデュラン・デュランのコンサートチケット発売日以来、見たこともない長さだったという。

「それで、パスポートはゲットできたんですか?」

と聞くと、彼女は首を横に振った。彼女の順番が来る前に旅券局の営業時間が終わり、しかたがないのでブライトンに戻ってきて、翌日、息巻いて電話を入れたら、電話に出た若い女性が言ったらしい。

「まだ、あなたの子どもさんのパスポートは準備できていません」

「じゃあ、どうしてウェールズにあるとか言ったんですか?」

彼女が激怒して言うと、電話に出た女性はほとんど泣きそうな声で答えた。

「わかりません。その電話に出たのは私じゃありませんから。私は2日前からここで働き始めたばかりで、本当に何もかもよくわからないんです」

パスポート発行作業の遅延がスキャンダルになっているので、旅券局は臨時の派遣スタッフを多く雇ったようだが、その女性もそうした一人だったのだろう。

いまにもブレイクダウンしそうな若い女性の声を聞いていると、彼女まで涙が出てきて電話の向こうとこちらで一緒に泣いたらしい。

今日現在、彼女は次男のパスポートをまだゲットできていないそうだ。ちなみに、彼女たちの旅行は来週の予定だ。こうなったら次男を祖父母に預け、残りの家族で旅行に行くしかないとも思うが、家族仲が著しく悪化してしまいそうでまだ言い出せずにいるらしい。