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 定期購読の通販雑誌に、チューバの広告を見つけたのは、アダムにとってひとつの啓示のようなものであったかもしれません。
 それは彼の中に眠っていた記憶を、より鮮明に再生するきっかけとなるばかりか、ともすれば、一生つづくのではないかと思われた「孤独」と「退屈」の双方に終止符を打つ可能性をもたらしました。
 配達をしてくれた郵便配達員の青年が、
「もしかして、チェロですか?」
 と訊ねてきたのは、チューバという選択がじつに稀なものであることを端的に示した例ではないかとアダムは満足しました。
 いずれにせよ、人生の後半に差し掛かった者が、独学で演奏に挑戦する楽器としては、かなりめずらしいものと言ってよいでしょう。
 しかしながらアダムは、記憶を頼りに──あのときの、あの名前を思い出せないチューバ奏者がそうしていたように──楽器を磨き、丹念に手入れをして、何度も同じ旋律を練習していたのを再現しました。
 人間というのはおかしなもので、たとえ、それが一度も経験したことのないものであったり、あるいは、世間にそむくような選択であったりしても、どういうわけか、「これでいいのだ」「自分には出来る」という確信めいたものが芽生えたりするものです。
 まさに、アダムはそう感じていました。
(きっと、自分はチューバを吹けるようになる。人生の終わりに向かっていくこのゆるやかな日々を、この楽器と共に過ごすことは、あのとき──あのチューバ奏者が、「道に迷いました」と、この家に身を寄せたときに決められていたのではないか──)
 事実、アダムは誰にも教わったことがないのに、ケースの中に同梱されていた『チューバの吹き方』という小冊子を頼りに、どうにか音を鳴らしてみせました。強弱のつけ方や、音色の変化をどう操るか──ひとつひとつ自分なりにマスターしていったのです。