さて、それから、どれほどの時間が流れたのでしょう。見当もつかないくらい時が流れ、アダムはある日、いつもの通販雑誌に、〈投稿欄〉なるものがあることに気がつきました。
 それは彼にとって、チューバを手に入れたときと同じくらい確かな「啓示」と言えるもので、なぜなら、その〈投稿欄〉では、ごく普通の市井の人たちが自らの来し方を語っていたからです。
 (なるほど)
 アダムは膝を打ちました。
 (なにも、本を一冊、書く必要などないのかもしれない。こんなふうに、葉書一枚で自分を語れたら、それでもう充分ではないか)
 
 彼にとって誤算だったのは、匿名を希望する旨を文末に明記しないと、投稿者の名前と住所がそのまま印刷されてしまうということでした。彼はそれを自分の投稿が掲載されるまで知らなかったのです。
 たまたま同じ雑誌を定期購読していた酒場の常連が目ざとく見つけ、
「おい、これを見ろ」
 郵便配達員の青年に、〈投稿欄〉のページを見せました。
「君が配達した楽器は、どうやらチューバだったらしい」
 酒場は、ひとしきり噂話で賑わいました。
 アダムはその投稿に「名前を思い出せないチューバ奏者」の思い出を書き、その影響から、チューバを手に入れて、「日々、習得に励んでいる」と、ありのままの自分を書きました。
 期せずして、名前と住所も明かしてしまい、アダムは自分以外、誰もいない部屋の中で、「しまった」と大いに動揺したものの、どうせ誰もいないのですから、あわてることはありません。
 いつか、誰かに自分のことを少しでいいから知ってほしい──。
 長年の思いが満たされたのですから、よしとするべきなのでしょう。
 いえ、待ってください。もしかして、そうではないのかもしれません。
 アダムは気づきました。
(もしかすると、誰も自分の投稿を読まないかもしれない)
 その可能性は大いにありました。なにしろ、アダムは長いあいだその雑誌を購読していたのに、一度も〈投稿欄〉に目をとめていなかったのですから。