来る2023年、中公文庫は創刊50周年を迎えます。その記念プレ企画として、本連載では「50歳からのおすすめ本」を著名人の方に伺っていきます。「人生100年時代」において、50歳は折り返し地点。中公文庫も、次の50年へ――。50歳からの新たなスタートを支え、生き方のヒントをくれる一冊とは? 第19回は、翻訳家・演劇評論家の松岡和子さんに伺います。

松岡 和子(まつおか・かずこ)

1942年旧満州新京(現在の中国・長春)生まれ。東京女子大学英文科卒業。東京大学大学院修士課程修了。2021年5月、シェイクスピア全集33巻の個人翻訳刊行が完結(ちくま文庫)。著書に『「もの」で読む入門シェイクスピア』『深読みシェイクスピア』ほか。

周平とシェイクスピアの意外な共通点

藤沢周平にハマった。どの程度ハマったかというと、全作品読破3周するほど。

いつ、何をきっかけにそんなにハマったかというと、これははっきりしていて、2002年、私が60歳のときだ。その年に封切られた映画『たそがれ清兵衛』を観たのがきっかけである。やや邪道ですね。1995年に蜷川幸雄さんが私の訳で演出した『ハムレット』の主演が真田広之さんだった。その稽古場で、戯曲と役に向かう真っ直ぐな姿勢に打たれて以来、彼は私の最も敬愛する俳優である。その真田さんの主演なら、と観に行って、映画の素晴らしさもさることながら、物語の清々しさに打たれた。

いまは亡き夫は少年時代に剣道をやり、剣豪好きで、時代小説は満遍なく読んでいる。むろん藤沢周平作品もずらり。それまでは素通りしていた夫の書棚からすぐさま手に取ったのが『橋ものがたり』だった。一篇目の「約束」でノックアウト。面白い、やめられない。小名木川の萬年橋をはじめ、江戸のそこここに架かる橋を巡る10編の、多くは哀切な物語。

その『橋ものがたり』の「小さな橋で」に、姉を勤め先の米屋まで迎えにいった10歳の広次とそこの旦那とのこんなやりとりがある。

「あんた、重吉の家がどこかと聞いたそうだが、なぜだね」
「行ってみようと思って。姉がそこにいるかも知れません」
「なぜそう思うのかね」
「あの、姉は重吉さんと、できていましたから」
旦那は笑い出した。あまり笑って苦しそうにむせている旦那を、広次はきょとんと眺めていた。

このくだりを読んだとき、「マクダフの子供とおんなじだ」と思った。シェイクスピアの四大悲劇の一つ『マクベス』。王位を簒奪したマクベスはその地位を固めるため、刺客を放って政敵マクダフの妻子眷族を惨殺させる。その直前の母子の会話である。

「ねえ、お父さまは謀反人だったの?」
「ええ、そうよ」
「謀反人てなあに?」
「あのね、忠誠を誓っておいて嘘をつく人」

ここを読むたびに、シェイクスピアは子供が分かってる、と舌を巻く。まず意味を訊いたり調べたりしてから実地に使うのは大人の発想だ。子供は違う。私にも覚えがある。小さいころ「あたしもごいっしょする」と言って叔母たちに笑われた。きょとんとした。広次の「できてる」に同じ。我が方にも子供が分かってる作家がいる、と嬉しくなった。