
黒井千次(くろい・せんじ)
1932年、東京生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業後、富士重工業株式会社に入社。会社勤めの中で小説を書き続け、69年、参加していた同人誌『層』に発表した小説「穴と空」によって芥川賞候補となるも受賞せず。70年、「時間」によって芸術選奨文学部門新人賞受賞。会社勤めを止めて文筆生活に入る。以降『五月巡歴』『春の道標』『群棲』『カーテンコール』『羽根と翼』『一日 夢の柵』他の作品を発表。最近作は2021年の『枝の家』。(写真提供:読売新聞社)
五十歳、読書などしなくても
五十歳からの読書について、何かを語るのは難しい。まして、「座右の書」と呼ばれるような書物を選び、それを読むようにと五十歳を過ぎた人に呼びかけたりするのは至難のことである。
五十歳からの読書は、おそらく二十歳前後の読書とも、七十歳に達した頃の読書とも違うだろう。
日本人の平均余命が八十代の半ばであることを考えると、五十代とはまさに生命の全体像の眺められる地点に立つ時期である、と言えよう。年齢の重さと体験の広さとが、生命の持つ可能性を最大限に花開かせる季節である、ともいえるのではないか。余計な読書などしなくてもよいから、自分の直面する仕事に全力でぶつかれ、と言ってやりたいような時期であるかに思われる。
それでも本を読むとしたら、どちらかといえば、新しい世界を訪ねたり、知らなかったことを学んだりするより、むしろ知っているつもりの世界にあらためて正面から向き直り、そこに生きて動いているものの姿をあらためて見つめなおし、かつて自分の抱いた印象が果してマトモなものであったか否かをあらためて確かめてみる読書というものになりそうな気がする。
年齢五十代にまで達したならば、その間に何をやって来たにせよ、その年齢相応の時間というものが身の内に宿っているに違いない。つまり、かつてと同じような読み方は、最早出来なくなっているのではないか。