どんな世界文学と並べてみても、何ひとつ遜色がない

『クマのプーさん プー横丁にたった家』ほど不朽の名作が、他にあったろうか。ドストエフスキーやトルストイ、モーパッサンにカミユ、ヘミングウェイやフォークナー、どんな世界文学と並べてみても、私にとってプーの物語は今もなお、何ひとつ遜色がないのだ。

作者のA・A・ミルンは、実の息子、クリストファー・ロビンをモデルにし、息子が愛してやまなかったクマのぬいぐるみから着想を得て、この、魔法のような世界を誕生させた。物語の最終章は「クリストファー・ロビンとプーが、魔法の丘に出かけ、ふたりは、いまもそこにおります」と題されている。

「クリストファー・ロビンは、いってしまうのです」という一文から始まり、「なぜいってしまうのか、それを、知っている者はありません」と続けられる。

この章を読み終えた時、まだ年端のいかない少女だった私は、声を押し殺し、肩をふるわせて泣いた。大人になり、中年になり、多くのものを得たり失ったりを繰り返しながら、残り時間を考えるような年齢に達しても、この章を読むたびに私は同じように涙を流す。

成長したクリストファー・ロビンは、そろそろ森から出ていかねばならないのである。理由はわからない。わからないのだが、本人もふくめて、森の住人はみんな、そのことが何なのか、ということを穏やかに共有し合っている。

森から離れるにあたって、彼は動物たちと別れなくてはならなくなった。中でも一番愛していたプーとの別れがつらくて、プーもまた、彼との別れが悲しくて、一人の少年と一匹のクマが、半ば照れながら、やさしい会話を交わすシーンが最終章で描かれる。この物語の白眉である。

流れ去っていく時間、変容、別れ、出発、喪失と再生、愛するということ……そうした抽象度の高い、簡単には表現できないものをこれほどまでに美しい情景とやさしい会話の中に昇華させた物語を私は他に知らない。

最後の最後、クリストファー・ロビンが言う。「プー、ぼくのことわすれないって、約束しておくれよ。ぼくが百になっても」

プーはしばらく考えたあとで「そうすると、ぼく、いくつだろ」と訊ねる。

クリストファー・ロビンは「九十九」と答える。

当然だが、私は九十九まではとても生きられない。だが、命尽きるその直前、もしもふしぎな力が与えられ、活字を読むことができる時間があったとしたら、間違いなくプーの物語を読みたいと願うだろう。

老い衰え、死を目前にしてさえ、プーの森は私たちの中に生き続ける。ひとつも変わらず、同じ姿で。

私たちはいつでも好きな時に、プーたちのいる森に戻っていくことができる。魔法の丘に行き、懐かしい顔ぶれと再会できる。

生と死はいつだって、こんなふうに巡り巡って連環しているのだ。

『クマのプーさん プー横丁にたった家』(岩波書店)A・A・ミルン 作、石井桃子 訳、E・H・シェパード 絵

クリストファー・ロビンが、プーやコブタなど大好きなおもちゃの動物たちとともにくりひろげる魔法の世界――。イギリスの詩人が幼い息子ロビンに語り聞かせたロビンと動物たちの10のエピソードを綴る「クマのプーさん」と、成長していくロビンと森の仲間たちを描く「プー横丁にたった家」を併録。