MARUU=イラスト
阿川佐和子さんが『婦人公論』で好評連載中のエッセイ「見上げれば三日月」。実家の片付けで大量に出てきた着物。引き取って専門家に判断を仰ぐつもりがそんな暇もなく、そこでハタと思いついた。とにかく自分で着てみるか――。
※本記事は『婦人公論』2022年7月号に掲載されたものです

今さらながら、着物を着ようと心に決めた。着付け教室に通うつもりはない。自宅の鏡前に立ち、ときにYouTubeの「着付け指南」動画を覗き見て、もっぱら手抜きの着方を身につけるべく、ただいま修業中である。

ことの発端は実家の片づけだ。長年にわたってたまった家族の荷物を整理していたら、母の着物が大量に出てきた。

そもそも母は、父と結婚した直後からずっと着物を着ていた。なぜか父は、「お前には洋服が似合わない」と決めつけて、新婚早々、洋服禁止令を出したらしい。おかげで母は、出かけるときのみならず、家事育児のいっさいを着物でこなした。だから私は物心つく頃から、朝は母の衣擦れの音で目を覚まし、エプロンより割烹着のほうに馴染んでいた。

母の着物はいわば仕事着だったので、さほど高価なものではない。絣や紬、柄も格子や縞模様が多かった。父と外へ出かけるとき、柔らかい生地の訪問着を着ることはあったが、私は母のよそいき姿より、普段の着物姿が好きだった。

大きくなったら母から着物を譲り受け、普段使いの着物をさりげなく着こなせるようになりたい。そういう夢だけは持っていた。が、結局、自分で着られるようにならないまま、今の歳に至った。