いろんな人がいる世界で「自分」を貫くことは、完璧になることや誰かが決めた理想をなぞることがゴールなのではなくて、全てを自分で決めていっていいんだと心から信じられる「自由」を持つこと。自由の中で、自分を磨いてそれを自分だけの美学にすること。宝塚にはそういうあり方がはっきりとあって、そこが私にとっての宝塚の魅力だった。 他人なんてとても遠くて、わかりあえない存在で、でも、だからって永遠に関わり合うこともできないかというとそうではなくて、わかりあえないからこそ、ずっと向き合えることがあり、伝わってくることがある。互いに「自分」であることを貫いて、その人だけの大切な考えや思いが磨かれていったなら、それは相手の「わからなさ」をわからないままで尊重する勇気にもつながっていくだろうと思う。そうした先でこそ私は人と関わり合いたいし、その状態で誰かを好きって思えることこそが最上だと思うのです。舞台には、そんな瞬間がある。自分であることを貫いて、それを美学にしている人、そんな人に出会えるたび、私の目に世界はより一層美しく見えます。そのことが私はとても愛しいです。

 宝塚には必ずいつか退団という終わりが来る。けれど、それまでは「舞台に立ち続ける」時間があって、それもまた特殊だなぁと今になって思います。この立ち止まらないというあり方が作っているものもきっとたくさんたくさんあるんだろうなぁ。「自分」という作品を磨き続けることは、本当に走り続けるようなことで、その軌跡が光みたいにきらきらするところが私はとても好きだった。彼女たちがあの日々をどう思っているのか、本当のところはわからないけれど、彼女たちの意思ではないところでそれが止められてしまうことが私は悔しい。答えがない中で、自分の存在そのものを磨き上げていく人たちの、日々の邪魔なんて絶対ひとつもあってほしくない。

 今は舞台が公演のその日に止まってしまうこともあるし、チケットを持っていても本当に見られるかが直前までわからなくて不安なことも多いです。でも、劇場で作品に出会えると私はやっぱり舞台が好きだと思える、彼女たちの作品が好きだと思える、その気持ちが自分の心の最前線に立ってくれる。どんなに不安になることがあっても、心配があっても、私はいつまでも舞台の幕が開くのを待てるし、いつまでも祈ることができるって、そのとき心から思えるのです。私は舞台の上にいる人たちが好きで、本当に、それだけなんだとそのときに思う。いろんなことを考えてしまうけど、「好き」そのものは絶対に疑わなくていいなってそこで思えます。力強くてたのもしくて、そんな人たちが大好きです。好きにならせてくれてありがとう。心から、応援しています。どんな日も私はいつまでも待っています。