英国に来て20代の私がパブで見たものは

「元・底辺中学」へ通う息子の日常を描いた『ぼくは~』のテーマは、他人の感情や経験を理解する能力=エンパシー。英国では中学の授業で教えられる。同じように「共感」と訳されるシンパシーが感情的な状態なら、エンパシーは知的作業だというブレイディさんがエンパシーを持って書いた『ワイルドサイド~』では、緊縮財政に苦しむおっさんたちが、政治を熱く語り合う。


英国に限らず欧州の人は、成熟していると思う。コロナ禍で営業する店に「開けるな」と貼り紙を貼って回った日本の「自粛警察」は、英国にはありません。「自粛しなきゃいけない」と思っていたとしても、「こういうときに開けなきゃいけないのはよほど経営が苦しいんだろう」と考える。「無制限に移民をいれちゃいけない」と言うくせに、近所に困っている移民がいれば助けに行く。

大文字の「政治」と足元の生活は違うと、わかってるんですね。一方で、「自分たちが困っているのは政治のせいだ」ということもわかっている。「この困窮は自分たちの責任だ」と考えがちな日本人とは、違うところです。

20歳くらいから、アルバイトしてお金をためて英国やアイルランドに来ていました。ライブハウスで知り合った同年代の子たちとパブで飲んでいると、みんな、政治の話をするんですよ。さっきまで飛び跳ねて踊っていた人たちが、キリッとなって議論している。普通の労働者も。

私なんか、80年代のバブルの日本にいて、「今、首相誰だっけ?」ぐらいのノンポリで、政治の話をすると「どこかおかしいの?」と言われた。だから英国で「どう思う? 日本はどうなっている?」と聞かれたときに、うろたえました。パブに酒のひとつも飲みに行きづらいから、そうなると新聞とか一所懸命読んで勉強し出すわけです。政治に興味を持ち始めたのはそこからです。