“マルサの女”として生きるつもりだったのに

デビュー作のタイトルは『燃えた花嫁~殺しのドレスは京都行き~』。端役だと思っていたのに、焼き殺される花嫁という大役に抜擢され、まさに死ぬ気で取り組みました。監督から「そんなんじゃ人は死なないんだよ! 死んだことないのか!」とられて、「死んだことないです~」って言いながら(笑)。でも撮影終了後には「よく頑張った」と褒めていただけたことがうれしくて、結局、在学中に20本以上のサスペンスドラマに出演しました。

学生時代、母が京都から上京するたびに、一緒に買い物をしたり、食事を楽しんだりしたことを懐かしく思い出します。売れっ子作家になっていた母はキラキラと眩しかった。いつしか私は、女性が仕事を持つというのは素晴らしいことなのだと確信するようになりましたが、女優として生きていこうとは思いませんでした。自信がなかったし、もとより女優活動は若き日の思い出づくりだと割り切っていたのです。

そんなある日、私は新聞を読んでいて、摘発された脱税事件の脱税総額が多いことに衝撃を受けます。すべての法人や個人がきちんと税金を納めたら、日本の福祉や教育はぐんと充実するのではないかと思ったのを機に、適正な税金の申告がなされているかを調査する国税調査官になりたいと考えるように。そして大学卒業後は大阪国税局に勤務して“マルサの女”として働き始めました。

ミステリー作家と国税調査官――母とはまったく違う仕事に就いたと思われがちですが、共通点は、「推理力」。たとえば経理の担当者だと紹介された女性の手を見て、「この長く伸ばした爪で電卓は叩けないはず、さては社長の愛人だな」と、ピンとくるといった具合に。推理が的中し、巨額の脱税を摘発したこともあります。母の影響もあって推理好きな私にとっては、まさに「天職」でした。

結婚を決意したのは25歳のとき。大蔵省(現・財務省)のキャリア官僚だった夫が大阪国税局に出向し、3日間だけ私の上司だったことがなれそめです。彼は女性の社会進出に理解のある人だと周囲から聞いていたので、私は結婚しても仕事を続けるつもりでした。

ところが結婚式を目前に控えた頃に、彼から「いつ退職するの?」と訊かれて。「女性の社会進出には賛成だけど、自分の妻にだけは家にいてほしい」と言うのです。想定外の展開に私は茫然。でも、かつて憧れていた専業主婦になるのも悪くないと、退職を決めました。

すると「山村美紗の娘が結婚」と雑誌で取り上げられ、それを見たテレビ局の方から「結婚記念にドラマに出演しませんか?」とオファーを受けたのです。まだ婚約中だし、一本だけならいいかなと出演したところ、次から次へと出演依頼が殺到し、気づけば女優業を再開していました。

2時間もののサスペンスドラマを中心に、これまでにかれこれ500本くらい出演したでしょうか。なかでも40代には7本掛け持ちで撮影をするなど多忙を極め、あっちの崖からこっちの崖へと移動する日々。「私は今、どこの断崖絶壁にいるの?」という感じでした。(笑)